2021年3月3日
ふるまい酒

沖縄の葬儀と法要(2)

なぜ傘をさすの?

めいめいが車を道路に停めて墓までの道を歩きます。行き止まりなので、骨壺を乗せた車だけが墓のそばまで進みます。車から降りると傘差し、骨壺、位牌、遺影の順に墓まで遺族が歩きます。

納骨に向かう

墓はすでに草が刈られており、墓前のスペースに遺族が集まります。喪主と僧侶は墓の前で立ち止まります。僧侶が喪主に問いかけました。

「傘をさすのはなぜだと思いますか?」

喪主が言いました。

「バンコクに行ったとき、ゴルフでもキャディーが傘をさしてたぞ。」

僧侶が答えます。

「タイは仏教国ですからね。そして日差しが強い。キャディーがあなたに傘をさしたのも同じ理由です。亡くなった方に強い日差しが当たらないようにと傘をさすのです。」

それなら日傘じゃないの?さしてる傘は雨傘だけどなぁ…というツッコミはしませんでした。黒い日傘ってなかぬか売ってませんし、そもそも持ってる人も少ないですよね。

沖縄の墓は亀甲墓

内地と違って沖縄の墓は「亀甲墓」と言われる大きなものです。もともとは士族にのみ許されたそうで、明治以降、急速に一般に普及したとのこと。こちらの墓は240年前のものということや、場所が識名霊園という首里城の南側の土地にあることから、首里の士族であったことがわかります。先の大戦では首里城に日本軍総司令部があったので、米軍は今のおもろまち駅を通り首里城の西側から進軍しました。特におもろまち駅付近は「シュガーローフ」と米軍に呼ばれ、日本軍と非常に激しい戦闘があったようです。今でも不発弾がたまに出てきます。そのため、米軍が進軍した土地は墓地もすべて破壊されたのですが、識名霊園は首里城の南側にあり、戦闘がなかったために墓地が残ったそうです。

亀甲墓

当時、首里の人々はここが戦場になると言われても、そもそも戦場というものが想像つかなかったので、壕ではなく墓地に逃げた人もいたそうです。戦場になると言われてから実際に戦場になるまでに時間的に余裕があったことや、首里地区は旧士族が多く住んでおり資産を持っている人も少なくなかったので、墓の中に避難できるように骨壺を丁寧に取り出して外に並べたそうです。戦争が終わって墓地に戻っても、骨壺はきちんと残っていたので墓の中に戻したとのこと。沖縄は地震もほとんどないですからね。

骨壷が割れている!

葬儀業者が墓を開けて中に入ります。ときにはハブがいたりするので、素人が入るのは危険とのこと。

「骨壺が割れている!」

業者が言います。喪主と僧侶が中をのぞきます。

「この前、入れた骨壺だ。3年前。」

喪主が言います。僧侶も骨壺を見て言いました。

「この割れ方は劣化だな。3年で割れるのは製品の問題だな。品質に問題があったようだ。」

冷静に判断します。そしてアドバイスがありました。

「次の納骨時に新しい骨壺を用意して入れ替えなさい。」

沖縄はやはり酒呑み?

今度は墓から泡盛の一升瓶を取り出しました。3年前の直前の納骨時に入れたものだそうです。墓に若い酒を入れておくと熟成して古酒になります。墓の中は暗くて涼しいですから酒の熟成には非常に向いています。

代わりに新しい若い酒を墓に納めます。昔は葬儀が一日仕事だったので、すべてが終わると葬儀に参加した力仕事をした方々にこのお酒をふるまったそうです。葬儀業者が骨壺を寄せてスペースを作り、新しい骨壺が安置されます。そして墓前に遺影と位牌が置かれ、僧侶が読経します。その後、墓を閉めて元通りにします。

こうして納骨が済むと一連の儀式は終わりです。参列者は解散して遺族も自宅に帰ります。その後、親族だけで食事をしながら、墓から持ち帰った酒を飲みきりました。

「亡くなったあの子もにぎやかなほうがいいよねぇ。きっと一緒に飲んでるよねぇ。」

遺族のひとりがぽつりと言ったのが印象的でした。

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