2024年4月26日
EZカード

台湾のeasyカードと地下鉄 ~日本よりも便利~

台湾桃園空港で飛行機から降りると、荷物受取場で宮城さんを待つ。しばらくして彼がエスカレーターで降りてきた。荷物を受け取り、税関を抜ければ、ここは台湾だ。電車で市内に入るのがいいと宮城さんが言う。切符を買おうとしたところ、彼が一枚のカードを私に差し出した。

「easyカードです。これで地下鉄も乗れるし、コンビニで買い物もできます。まだ少し入ってるはずですから。」

日本のSuicaみたいなものである。これで改札を通り抜け、ホームに入ってきた電車に乗る。乗ってから気付いたが、どうも快速ではなく、各駅停車に乗ってしまったようだ。途中の駅で快速に乗り換え、終点の台北駅で降りる。地下通路を歩いて北門から地下鉄に乗れば、次の駅が目的地の中山駅だ。香港も台北も、空港快速で快適に移動できるのが嬉しい。その点、羽田空港は不便だ。モノレールは中途半端。京浜急行は事故でよく止まる。

二十年前はまだ地下鉄が無かった。初めての民主選挙で、台北市長が国民党から民進党に変わり、台北市内の主要道路の中央レーンをバス専用にして、駅のようなバス停を作り、路面電車のようなシステムにした。台北市内の道路は広い。それまで公共交通がまともに動かなかった台北では、ほとんどの人が車で通勤していたので、渋滞がひどかったが、バスがスイスイ走るので、少なくない人がバス通勤に切り替えた。当時、フランス製の新交通システムが開通したのだが、しょっちゅうトラブルを起こしては止まるので、役に立たない。日本製にすればよかったのにと、台湾人はよくこぼしていた。

初めて台北にきた時、道路の幅広さに驚いた。同じ島国の日本とは大違いだと思ったが、なんと、台北の市街地は、旧日本陸軍が都市計画を策定し、戦後も国民党政府が計画を引き継いだと台湾で聞いた。戦前の台湾は、日本の若いエンジニアがインフラに様々な新技術を導入する、巨大な実験場でもあったのだ。この試みが、不毛の地であった台湾を豊かな土地に変え、現代の台湾経済の基礎を作ったことを、日本人は知らない。

こちらの記事もどうぞ: