2024年4月26日

私が中国語を話せる理由(わけ)台北で覚えました

二十年前には毎月、多い時は月に2回ほど仕事で台湾に来ていた。仕事が一段落すると林森北路(リンスンベイルー)の日式クラブで呑んでいた。「日式」とは「日本式」と言う意味だ。店の女の子は秀才が多かった。日本語が話せるのはもちろん、英語ができる子もいた。中にはドイツ語の家庭教師の仕事をしていた子までいた。

当時、私はアラサーだったので、女の子達と年齢も近く、酒を飲んではバカな話をしていた。そうやって一年ほど台湾に通っていたら、少しずつ中国語が話せるようになった。女の子たちと中国語で話すときに、発音を間違ってたくさん恥もかいた。失敗もした。そうやって中国語を覚えた。今となってはすべて笑い話だ。

だから、私は台湾人や台湾通の日本人には、中国語は台湾の大学で習ったと言う。どこの大学ですか、と聞かれたら「五木(ごもく)大学です。」と答える。そう、林森北路で覚えたからだ。林は木が2つ。森は木が3つ。だから林森北路のことを日本人は「五木大学」と呼ぶのだ。もちろん、台湾人には「林森大学卒業了。」と中国語で話す。男性にはウケるが、女性には言わないようにしている。

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