20年前に台湾を訪れた時、空港に掲示されていた看板を見て、なんだろうと思ったことがある。4人の人物がそれぞれメッセージの書かれたボードを持っていた。内容は確か次の通りだ。数ヶ国語で書かれていた気もする。
- 私は外省人です
- 私は本省人です
- 私は客家です
- 私は少数民族です
- みんな台湾人です
当時の台湾総統は李登輝氏。まだ直接選挙で選出される前だ。本省人と外省人について、中学か高校で習った記憶がある。台湾で生まれた人が本省人、大陸で生まれて、台湾にやってきた人が外省人だったと記憶している。これは間違ってはいないが、正しい答えでもない。本省人とは、台湾が日本領だった頃から住んでいた、元は日本国籍だった台湾人のことだ。そして、外省人とは、戦時中は中国大陸で大日本帝国と戦い、戦後は中国共産党と戦って、台湾に敗走してきた中国国民党のことだ。
戦前の台北は東京と同じ程度の経済発展を遂げていたから、大都市だ。インフラも整備されていた。
もともと農作のできなかった台湾島に、日本人がダムと灌漑設備をめぐらせて穀倉地帯に変えた。その一つがアジア最大級と言われた八田ダムだ。マラリアで人が住めなかった土地に、水道と道路と電気を普及させ、社会基盤を築いた上に、公衆衛生を徹底させ、伝染病から人を守った。
こうして台湾は日本人の手によって豊かな土地になったのだと、台湾人から教わった。このように台湾で生活していた中国人が本省人だ。彼らはもともと日本国籍であり、ほとんどが日本語を話し、全員が君が代を歌えた。言葉はピン喃語と言われる中国語であり、北京語ではなかった。
戦後、国民党が台湾を統治することになり、大陸からやってきた外省人は、電気も水道も見たことがなかった、ぼろぼろの服を着た軍人たちだった。祖国復帰の夢を見た本省人の現実は「狗去猪来(犬が去り、豚が来た)」と呼ぶような圧政だった。
犬(日本人)は吠えてうるさいが役に立つ、豚(外省人)は貪るだけで役に立たない、と言う意味である。
水道を見たことがない国民党兵士らは、蛇口を買って自宅の壁に取り付け、ひねっても水が出ない、偽物だろうと売主に暴行を働いた。本省人は北京語を話す外省人に強盗、暴行、強姦の限りを尽くされた。家の外から北京語が聞こえると、自分たちが襲われるのではないかと、家族で震えながら過ごしたと言う。
我慢の限界に達した本省人たちは決起し、2・28事件を起こした。当時、君が代を歌えない台湾人はいなかったから、歌えない者を敵、外省人とみなした。彼らは主な行政機関を陥落させたものの、大陸から増援された国民党軍に武力鎮圧された。
さらに、大陸で共産党に敗れた国民党が台湾に敗走してくると、蒋介石は白色テロと呼ばれる、本省人の大虐殺を始めた。本省人の教育層、知識層、インテリ層は統治の邪魔になるからと、ことごとく投獄され、拷問で虐殺され、大学も破壊された。台湾語と日本語しか話せない本省人は公用語を北京語に改められた。そして全土に戒厳令が敷かれ、以後、38年間も解除されなかったという。
白色テロについては、今の蔡大統領が事実解明を指示している。
台湾を統治してきた少数派の外省人は反日である。しかし、多数派の本省人たちは親日である。このような台湾の歴史を日本人は知らなすぎると、とある台湾人は嘆いていた。
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