球磨川を走る
妻と結婚前に人吉に来た。飲んで騒いで、楽しんだ。なんと言ってもお互いに初めてのラフティング体験。お腹の中にけいたまがいるなどとは想像だにせず、高さ三メートルの岩から水面に飛び込んだり、激流を流されたりと、刺激的であったが、始まって30分後に眼鏡をなくした私は、その後、なんとなくもやーっとした風景を見ることしかできなかった。
「しらさぎが飛んでるよ!」
なんだか白い物体が宙を舞っているのは分かった。
ラフティングをしたのは球磨川だ。清流と呼ばれている。日本でも数少ない、ダムを撤去した川だ。人吉からは下流に当たる球磨村まで行き、そこから4キロメートルを下るコースだ。新幹線に乗るために八代市まで行くには、高速道路が便利だ。山の中を橋とトンネルで八代までほぼ直線に結ぶ。それまでは球磨川沿いをうねうねと走る国道しかなかった。もちろん、日露戦争前に開通した肥薩線も同じコースを通っている。鉄路は昔のままなのだ。
鹿児島本線も新幹線も海沿いを通るが、開通したのは肥薩線が先だ。当時、日露戦争が起きれば、海沿いはロシア海軍によって砲撃される可能性があるために、山中を通る難所ルートが選ばれた。あまりの高低差にループトンネルやスイッチバックなどの、当時の最先端技術が採用された。トンネルは最大の難工事で、開通時には当時の逓信大臣の名前が付けられたほどである。
今なら軽くて馬力のある車両がある上に、高い橋も長いトンネルも作れるので、肥薩線を作り直せば、今は一時間以上かかる八代まで30分で行けるのではないかと思う。
とは言え、今の私には時間がある。残念ながら朝から雨のために、観光も見込めない。ならば球磨川沿いをノンビリと走ってみようと考えたのだ。宿から車を出すと、球磨村の湯の駅を目指して走る。雨と風がだんだんと激しくなる。
雨の中、車を停めて施設に入る。野菜と土産を買うと、窓際に向かった。球磨川の勇壮な眺めを見ることができる。SLが鉄橋を渡る時間も書かれている。晴れていれば美しい眺めだろうが、今日は仕方ない。
さらに国道を走る。霧も出てきた。たまたま見つけた駐車場に車を停める。外は激しい風雨だ。何枚かシャッターを切ってみた。
車の中で確認してみると、大した映像じゃない。無念。
さて、一直線に八代だ。鮮魚を買いにマックスバリューだ。物資の調達が終わったらランチを食べて、新幹線で福岡空港へ向かうのである。
まさかのデザインジェット
さて、沖縄に帰ろう。妻と娘たちが待っている。
帰りの飛行機はなんとアムロジェットだった。
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