帯広市。北海道十勝地方の中心都市である。食料自給率1700%を誇るこの豊かな地は、明治時代に民間企業が入植したことから歴史が始まる。その名は晩成社。創設者は静岡県出身の依田勉三、北海道神宮開拓神社の祭神である。当初、入植はまったくうまくいかず、十勝監獄の囚人によって監獄道路(現在の大通)が建設されてから、帯広市の発展が始まったそうだ。
明治時代、歴史の変わり目に逮捕された多くの政治犯によって刑務所には受刑者があふれ、国の財政を圧迫していた。当時、内務省長官だった伊藤博文が、政治犯を中心に囚人を北海道に送り込んで開拓させれば、政治犯を国内から隔離でき、開拓も安く済み、囚人なので死んでも構わないと主張した。
こうして北海道各地に囚人道路と呼ばれる道が完成した。最初にできた監獄は樺戸集治監、当時は須倍都太(すべつぶと)と呼ばれた地に建設され、囚人が開拓に駆り出された。「叩き起こす」と言う表現は、この獄舎から生まれたとされ、囚人は丸太を枕にして寝ており、起こす時はこの丸太の端を看守が木のハンマーで叩いていた。
月形町にある資料館で実際に見ることも触ることもできる。ここはぜひとも一度は訪れるべき場所である。樺戸集治監のあたりは現在、月形町と呼ばれるが、これは初代典獄(監獄長)が月形潔であることから名付けられた。北斗の拳のような実話なのである。
窓からは碁盤目に整理された、およそ内地では見ることができない景色を目にすることができる。青空の下に広がる豊かな大地は、種まきを控えて今シーズンの準備中だ。
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アラフィフで再婚して二人の子どもを授かりました。妻は初めて、私は二度目の育児を夫婦で頑張っています。