2024年4月29日

草加市瀬崎町を歩く~黒歴史をたどってみた~

なぜ谷塚にホテルが?

谷塚、草加市瀬崎町と谷塚町を中心とした、寂しい街だ。住宅街だ。年寄りが多い。

朝食のとき、ロビーに座っている人たちが皆、礼服を着ていることに気づいた。結婚式…?いや、違う。ここには斎場がある。子供の頃は白と赤の縞模様の高い煙突があって、ときおり独特の嫌な臭いがしてきたものだ。今は煙突すらない。無臭だ。

谷塚斎場のほとりを流れる毛長堀も、昔はドブ川で臭かったが、今は水質が改善されて魚がいると言う。新河岸川も黒目川も、子供の頃は生物の住めないドブ川だったが、今は鮎が遡上すると言う。

毛長川(毛長堀)
毛長川(毛長堀)

毛長堀の由来は、昔、結婚して姑にいじめられた嫁が川に身を投げた。後日、長い髪の毛が川を流れてきたことから、それを神社に祀ったそうだ。詳しくはこちら

静かな街だからゆっくりできるかと思いきや、それは許してもらえなかった。なぜなら草加市は市議選の真っ只中。選挙カーがうるさい。これだけは全国共通だな。そろそろ選挙のあり方も考え直さないといけないのではないか。名前連呼で当選なんて、非合理だ。ナンセンスだ。

黒歴史

9歳から10歳にかけて1年とちょっとの間、ここ草加市瀬崎町に住んでいた。京都から引っ越してきて、バリバリに関西弁だった私は壮絶ないじめにあった。9歳の子どもでも陰惨なことを考え、実行できるものだと、今さらながらぞっとする。おまけに一部の教師からもいじめにあってけがをした。

そんな黒歴史を過ごしたこの地に、40年を経て訪れる機会がやってきたのだ。せっかくなので、駅前のホテルから記憶たどりながら歩いてみた。

瀬崎の富士塚

浅間神社。ここで餅まきをしていた。節分の日にお菓子や小銭の入った小袋を境内から撒くのだ。そりゃ必死で取ったものだ。奥に塚がある。記憶にない。歴史と由緒あるものらしいがまったくおぼえがない。なんとなく、これに登った記憶がある。富士塚とは、富士山の代わりとして建てられた塚で、かつてはここに登ることで富士登山を模した「冨士溝」という慣習があり、今でも続いているそうだ。

神社を抜けて細い道を歩く。突き当たりにある生垣は見覚えがある。このを右に曲がると住んでいた場所だ。当時は砂利道で空き地もあったが、今は道が舗装され、すべて住宅となっていた。当たり前だが四十年前の面影はカケラもない。

谷塚斎場に向かって歩くと、T字路にぶつかる。当時、自転車に乗っていた私はここで車にぶつかった。一時停止せずに飛び出したのだ。車の側面に当たったせいで、大きな怪我はしなかったが、運転手は私を介抱した後、缶のおしるこを渡すと逃げた。二度と連絡してくることはなかった。渡された電話番号もでたらめだったと記憶している。

今は文具店になっているが、昔は駄菓子屋があったはずだ。時は昭和。第一次スーパーカーブームの頃だ。ランボルギーニカウンタックにミウラにイオタ。フェラーリベルリネッタボクサー。ポルシェカレラにランチャストラトスにロータスエリーゼ。

何もかも、皆、懐かしい。

毛長堀

さらに道を進む。新鮮市場を過ぎ谷塚斎場を抜けると毛長堀だ。今では毛長川と呼ぶのか。かつてのドブ川はたゆたゆと水が満ちていた。埼玉高速鉄道のトンネル下に導水管を通し、荒川の水を毛長川の開始地点から流すことで、毛長川の水量を増やしているそうだ。水が流れれば、川が掃除され、水質も向上する。今では魚も住んでいるらしい。

当時、私は釣りに凝っていた。少ない小遣いをやりくりして釣竿と餌を買い、クチボソなどを釣っていた。ゴルフ練習場の近くに、大きな水溜りというか池があって、雨の日に傘をさして釣りをした記憶がある。何かにつけて母に叩かれるから家に居たくないし、雨の日は釣りをしている人もいない。激しいイジメで友達もいなかったから、一人でいるのが好きだった。落ち着けた。

毛長堀

毛長川に沿って旧道に向かって歩く。旧日光街道のことだ。この角にある家には同じクラスの児童が住んでいた。子供の頃は木造の旧家だったが、今は建て替えられていた。当たり前か。きっと彼が住んでいるのだろう。

一度だけ、彼の名前を見たことがある。中学生の時に、熱帯魚にハマっていた友人が、魚の交換のリクエストに届いた手紙を見せてくれた時、間違いない。住所も名前も同じだった。珍しい名字なので、同姓同名ということもないだろう。

ふと、脳裏に昔の風景が鮮やかに蘇った。そうだ、あの辺りには大きな木と池があって、子供たちがよく遊んでいた。池の主を釣ろうとして、用水路で釣ったザリガニを餌に何度もチャレンジした。向かい側には掘っ建て小屋みたいな建物があった。

旧道を谷塚駅に向かって歩く。この後、瀬崎小学校に向かおうと思っていたのだが、足が向かなかった。私の黒歴史の舞台だ。気が進まない。行けば、せっかく忘れたことを思い出してしまうかもしれない。

私はそのまま駅に向かった。

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