あらかじめ言っておくが、Eテレの「何かが消えた。」のようなシュールな内容ではない。朝から見るには頭を使うし、子どもが見ても理解できないだろうし、明らかに大人向けに作られている、朝七時台の番組のことだ。
Eテレってなに?
同世代には教育テレビといわなければ通じないのか。そう言えばバブルの頃だか、国鉄が民営化される直前だったかに「E電」という言葉があったな。あれは何の略だったのか。そうそう、自殺した沖雅也の「ABCは~、E気持ち」なんて歌も流行った気がする。違う、歌ったのは沖田浩之だ。二人とも自殺してるし、紛らわしい。
まあいい。
昨晩の我が家は午後十時に一斉消灯と相成った。けいたまを寝かしつけるためだ。私も連日の寝不足で、早い時間から睡魔に襲われていた。妻がけいたまとゆうたまを連れて寝室に籠城した。私も通称「マンガ倉庫」である、第二寝室に篭り、横になった。
ゆうたまの泣き声が気になる。
寝室に行き、ベビーベッドで泣いているゆうたまを抱き上げて、マンガ倉庫に連れ出した。妻はなかなか寝ないけいたまの相手でいっぱいいっぱいなのだが、けいたまは何かと理由を見つけては、強引に睡魔と戦おうとする。素直に眠りに身を委ねればいいものの、頑なに拒否するのだ。
ゆうたまも同じく、眠ろうとしない。ぐずる。横抱っこすると、眠らされることが分かっているので大泣きする。そこで、まずは縦抱っこをして機嫌をとってから、椅子に座らせるかのように、角度をつけて横抱っこする。ゆっくりと揺らしながら、ゆうたまのまぶたの重さに合わせて、遊園地の遊具のごとく、少しずつ、少しずつ角度を小さくし、最終的には水平に持っていく。
ここまで来て、やっと道半ばだ。
腕の中でスヤスヤ眠るゆうたまには、とても敏感な、フェザータッチのセンサーが付いている。
通称「背中スイッチ」。
世の中のママたちから恐れられるこのシステムは、背中にかかる荷重が無くなると発動する。センサーが感知できないほど、ゆっくりとゆっくりとゆうたまを布団に寝かせ、数分ほどセンサーが安定するのを待つ。そして再び手を背中からゆっくりと抜く。ここが一番難易度が高い。失敗すれば、元の木阿弥だ。
まさに時限爆弾を解除するがごときなのだ。
背中から手を抜いたときに、ゆうたまが少し泣いた。
失敗か?
ところが、すぐにゆうたまはスヤスヤと眠ってしまった。睡魔がシステムを無効化したらしい。
助かった。
朝になった。六時には妻とゆうたまが起きていた。おっぱいをたらふく飲んだゆうたまはご機嫌だ。再び私はゆうたまの背中スイッチと格闘することになったが、あっさりとねじ伏せた。妻に聞くと、私がゆうたまをマンガ倉庫に連れて行ったら、けいたまはすぐに眠ったとのことだ。
やっぱり、みんなで早く寝ないとダメだね。私が子供の頃は一軒家に住んでいたから、子供たちは二階に連れていかれて、消灯されていた。下の部屋の明かりは二階までは届かない。しかし、ワンフロアのマンションではそうはいかない。
寝室のドアの隙間からこぼれるリビングの明かりは、けいたまにとって、眠らないための儚い希望だ。すべて消灯することで、希望を断ち、眠りへと誘うのだ。子守唄はなぜかアンパンマンマーチだ。起きて踊りだすこともザラにあるが、それで気が済んで眠ることもままある。
ゆつたまが寝たので妻と二人だ。そのとき、衝撃の事実を告げられた。
「納豆、頼むの忘れた。」
我が家の朝食には納豆3パックが欠かせない。これを小鉢にまとめて入れ、ネギとタレを入れてよく混ぜる。二分の一パックをけいたまに、一パック弱を妻に、残りを私が少量のご飯とともに食べることになっている。納豆はナットちゃんの昆布タレ納豆4パック入り限定だ。
納豆がなくては我が家の朝食は成立しないのだ。それが無いのだと、朝からカミングアウトされた僕。
食べるべきか、食べざるべきか、それが問題だ。徒歩五分の場所にはユニオンですから24時間開いているスーパーがある。
「ファミマでも納豆売ってるよ。」
より近くに位置するコンビニでも納豆は買える。しかし、それでは指定品ではなく代替品となるのは目に見えている。
それでいいのか?
「目玉焼きでも焼くよ。」
またもや妻の提案。うむ、納豆はタンパク質だから、玉子で代用はありだ。うーむ、それでは何か寂しい。
閃いた。我ながらいいアイデアだ。
「イナバのタイカレーの缶詰食べるよ。」
そうして私の食卓には、朝から味噌汁と目玉焼きにイエローカレーが並んだのだった。
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