2024年4月30日
けいたま

童謡とけいたまの進級 ゆうたまはもうすぐ歩くかな

童謡にツッコミを入れる

テレビをつけながらご飯を食べると、けいたまの手が止まる。妻も手が止まる。食べるのに時間がかかる。妻もけいたまも、二つのことを並行しながらすることができない。むしろけいたまの方が、まだ余裕があるかもしれない。テレビを消すと、手持ち無沙汰になり、けいたまの機嫌が悪くなる。そこで食事中は音楽をかけることにした。

けいたまはなぜかご飯を食べるときに、噛まずに素材から味を吸い取ろうとする。味がなくなってから噛み始めるので、食べるのに時間がかかっていた。保育園では普通にご飯を食べると言う。なので、まずは口に入れたらよく噛んで食べる癖をつけることにした。行儀は悪いが、食事をしながら歌えば口が動くので、必然的に口に入れたものを噛むことになる。

BGMは童謡をかけることにした。保育園でも習っているので、けいたまが歌える曲も多数あるのだ。一緒に聴きながら食事をするのだが、令和を前にした五十路の私が聴いても、首を傾げたくなる歌詞が少なくない。

有名な「ふるさと」。私が子供の頃でさえ「うさぎ美味し、かの山」だと思っていた。正しくは「うさぎ追いし」であるが、ウサギなんて学校のウサギ小屋にしかいないから、キャベツの食べないところや人参の皮を持ってこいと言われた思い出しかない。小屋の中でウサギを追いかけようものなら、教師に怒られることは必至である。ましてこの時代、学校でウサギなど飼おうものなら、変質者に殺されかねない。この歌は童謡というより、メルヘンでありノスタルジーなのだ。

「たき火」も同じだ。私が子供の頃がギリギリである。いまどき、焚き火などしようものなら、不法投棄と同様の扱いを受けるだろう。119番に通報されて、消防車が出動しかねない。どんなゴミが混ざっているや分からない火元に芋を入れて焼くなんて、およそ考えられない。これまたノスタルジーでありメルヘンの世界なのである。

ジャノメと蛇腹の関係性

「雨雨降れ降れ」で始まる歌と言えば、そう「もっと降れ 私のいい人連れて来い」であるわけがない。「母さんが 蛇の目でお迎え嬉しいな」が正しい。この「蛇の目」は「蛇の目傘」を指している。時代劇に出てくる、中心が白く、外側が濃い色をしたデザインの傘だ。文字通り蛇の目を模したデザインであるが、私ですら現物を見たことがない。いまどきはみんなビニール傘でお迎えだ。果たしてこの歌を聴いて、現代の子供達は共感できるのだろうか。

「そうなんだ。」

私の話を聞いて驚く妻。

「蛇の目って蛇腹じゃないんだ。」

え?
は?
なんて言った?

「ほら、傘って開くときに蛇腹みたいにかさが開くから、それで蛇の目なのかなって…」

妻ワールド全開。一瞬、頭の中が真っ白になった。亜空間に引き込まれそうだ。

「え?違うの?やめて、ブログにだけは書かないで!」

書かないわけないでしょ。

「親戚に読まれたら恥ずかしいから。」

大丈夫、みんなあなたが天然だって知ってるから。ちなみに「雨降り」の作詞者は、かの有名な詩人である北原白秋、大正14年に発表された歌である。西暦よりも元号の方が、時代感がよく伝わるのである。

けいたま 進級する

けいたま

本日は四月一日。エイプリルフールでもあるが、あまり関係ない。今日からけいたまはメロン組さんだ。進級だ。持ち物もトートバッグからリュックになり、嬉しそうなけいたま。

こんな日に、包丁を持った人物が近所を徘徊していると防災無線が言っている。このことを会社で話しても、エイプリルフールのネタと勘違いされた。近所にする八十四歳のおばあが包丁で脅されて千五百円を盗られたそうだ。わずか千五百円で人生を棒にふるなんて。しかもこの辺りは開放的な一軒家が多く、年寄りが住んでいることを知っているとは、土地勘があるとしか思えない。

登園すると保育園のドアは施錠されていて、いつもと違った張り詰めた空気だったと妻が言う。それもそうだ、犯行現場は保育園から数百メートルと離れていなかったのだ。

そんな事情などつゆほども知らぬけいたまはご機嫌で登園。後日、分かったことだが、保育園の規則が変更され、進級は三歳半からになったそうだ。けいたまは三歳三ヶ月。メロン組さんはしばらくお預けになったのでした。

ゆうたま、いつ歩く?

ゆうたま

最近、ゆうたまが、椅子を保育器代わりにして歩いている。あと一ヶ月もすれば、二足歩行ができそうな感じだ。立ち上がるだけでなく、座り込むのも上手になった。

検診で成長が遅いと指摘されていたのだが、この二ヶ月ほどですっかり食事も便も増えた。ふっくらしてきた感じさえする。抱っこすると、明らかに以前より重い。どんどん食べて、すくすく育ってね。

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