焼肉酒場 MaDa シャトーブリアン

石川県加賀市 山代温泉 焼肉酒場 MaDa シャトーブリアン

雨の山代温泉

とある団体の北陸信越ブロック大会に参加するために加賀温泉を訪れている。記念式典後の懇親会は、桔梗が丘公園で雨の中、開催された。会場は屋外なのではカッパが配られていた。私は傘をさしていた。各テーブルにはオードブルや缶ビール等が置いてあるがずぶ濡れだ。このままでは料理に手をつけられないので、卓上の食べ物に自分で傘をさす。

大会会長は意地でも雨を認めたくないのだろう。傘もささずにずぶ濡れで立ち尽くしていた。彼も知人である。受け入れられない気持ちはわかる。そう、バーガー少佐が宇宙船戦艦ヤマトに戦闘空母をあっけなくやられたときの心境だ。

こんな結末、認められるかよ!」

しかし、このままカッパを着ないと風邪をひく、そう言って私は彼に傘を差し出した。若い人はいい、しかし五十路の体にこの雨と、足元からじわじわと侵食してくる冷たさはなかなか厳しい。寒さがこたえる。今朝から喉が痛い。このままでは風邪を引き、エスカレートするのは必至だ。

懇親会のあいだ、雨は降ったりやんだり強くなったりした。中座する者も相次いだ。それでも、とにかく大懇親会は幕を閉じた。参加者の多くはここから送迎バスに乗り二次会へと向かう。私はバスに乗らずにひとり街の中を歩いた。雨が降る夜の山代温泉街には人影がない。時折、車が通り過ぎるだけだ。

二次会に参加して騒ぎに混ざれば、翌日から体調を崩すことは目に見えているからだ。無理はしない、健康第一、体調管理は五十路の中年男性には欠かせないのだ。

焼肉酒場 MaDa

10分ほど歩くとホテルの近くまでたどり着いた。この辺は昨夜も徘徊した場所だ。土地勘はある。ふと目の前に1つの看板が見えた。昨晩も密かに気になっていた焼肉酒場の看板だ。

そうだ。

昨日の夜は中途半端な中華料理を食べた。昼はおいしいそばと天ぷらだ。しかし野菜天ぷらだった。ああ、タンパク質が欲しい。肉が食べたい。魚は明日たっぷりと買って沖縄に持ち帰り、夜は家族みんなで、日本海の海の幸に舌鼓を打つ。だから今ここで寿司は無い。

肉だ、肉。

看板では宮崎牛を猛烈にフューチャーしていた。なぜ石川県で宮崎牛なのかと思わないでもないが、伊達直人も歌っていたではないか、美味ければそれでいいんだ、と。肉を見極める目と調理すると腕、料理人自身が地域資源と考えればいいのだ。うまい食材があるからそこに行くのではない、素晴らしい料理人がいれば、どこまででも食べに行く。これが人間の性と言うものだ。

店のドアを開ける、店内に入るとカウンター席に通された。卓上には昔ながらの鉄板を使ったロースターがある。おしゃれの店の無煙ロースターではない。店主はまだ三十代半ばだ。若い。なのに、こだわりを持って店をやってそうな雰囲気だ。若い頃に結婚したので既に二十歳近い娘がいると聞いて驚いた。

さて何を食べようか。

メニューを見る。生野菜が食べたい。ベジファーストだ。この数日間、まともに生野菜を食べていない。微妙なものは食べた。おいしい野菜が食べたい、みずみずしい新鮮な野菜のサラダが食べたい。ただそれだけだ。自宅ならば簡単に叶う願いが、外食ではなぜ、こうも難しいのであろうか。外食中心だと栄養が偏る。

私は生野菜の摂取量が極端に不足すると、脳裏にきゅうりやトマトやレタスが浮かぶ。一種の野菜中毒である。幼い頃、母が私に体得させた習慣である。とても感謝している。正座をさせられて説教されていたとき、母は夕食に生野菜をおかずにしてご飯を食べていた。8歳の子どもにはあまりにも衝撃的な光景であった。何を叱られていたのか全く記憶していない。あの時の皿の様子、箸の運び、トマトの切り方、レタスに絡むフレンチドレッシング、箸もとの細かい描写だけが今でも脳裏にしっかりと焼きついているのだ。

チョレギサラダ

「これ、一人前はけっこうな量がありますけど。ハーフで出すこともできますよ。いかがしますか。」

なんと嬉しい心遣いだ。生野菜であれば一人前を食べることもおそらく可能だろうが、せっかくのアドバイスを無視してとんでもない目にあったこともある。ここは店主の指示におとなしく従おうではないか。ハーフで出してもらうことにする。胡麻油ベースのドレッシングは爽やかでしょっぱくもなく、ちょうどいい塩梅だ。ああ、新鮮な野菜のビタミンと水分が体にしみ込んでいくようだ。

野菜がシャキシャキみずみずしい。これはうまい。一気に食べてしまった。一人前でも食べられたのではないかと思う。

シャトーブリアン

メニューを見ながら、店主と肉の部位の話で盛り上がる。肩ロースから首筋にかけて、枝肉をまとめて仕入れると話していた。肩ロースと牛の首の間、ここは希少部位の宝庫である。背中の方から座布団、唐辛子、ミスジ、三角と続く。三角とは栗のような形をしたウデの筋肉であることから、関西ではクリと呼ばれる。ウデ三角とも呼ばれることがある。後脚には「とも三角」と呼ばれる、同じような形の筋肉があり、関西ではヒウチと呼ばれる。サシの入った赤身とのバランスが良い、素晴らしくうまい肉であり、ステーキにも向いている。一度、知人から買って送ってもらったが、食べた家族が皆、唸っていた。

そんな話をしていると、目を疑うような記載を見つけてしまった。

シャトーブリアン、4350円。

この店はこだわったA5の肉しか仕入れていない。その肩ロースからリブロースの間にある、牛一頭からほんのわずかしか取れない最高に貴重な部位がなんと4350円。 ポッキリ。

「ありえないわ!」

電源も無く、動くはずのないエヴァ初号機の右手がシンジをがれきから守ったのを見て、慌てふためく赤城博士の気持ちがわかる。これは本物なのか。確かめなければならない。いや、確かめるしかない。もしも偽物であれば、看板に偽りありとJAROに報告しなればならない。酔った勢いで無駄な正義感に駆られた私は、衝動的に注文していた。

冷蔵庫から出して時間をおき、常温に戻してから軽く炙る。ワサビをのせ、塩を少しつけて食べる。甘くて柔らかくて官能的な味わいが、私の中でゆっくりとじんわりと発現した。ああ、これは偽りなき本物、まごうことなきシャトーブリアン。脂と赤身のバランスが絶妙なのだ。至福だ。

一切れだけミスをした。カリカリに焼き上げてしまった。もったいないと思いつつ口に入れると、これはこれでうまい。焼きすぎてもうまい。高級食材はどう調理したってうまい。私のような素人がやっても、どんな形にしても、美味しく食べられてしまうのだ。

和牛万歳。

クリ(とも三角)と三日月

くり。食べた記憶がない。

希少部位群と肩ロースの間にある、ほんの少しの部位、これが三日月だ。肩ロースの隣、リブロースの上にある希少部位。聞いたこともない。食べたこともない。薄くスライスされた肉は霜降りそのもの。軽く焼いて食べてみる。うまい。ご飯が欲しい。タレが欲しい。たまらん。

思いがけぬ場所で、思いがけぬ形で生野菜と牛肉の希少部位を堪能できた。店主との会話も楽しかった。このまま調子にのって飲んでいると泥酔するのは必死である。後ろ髪を引かれる思いで店を後にした。

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