広東料理 生記飯店
昨晩は会議後に湾仔の広東料理の店で夕食となった。三度目の訪問となる生記酒店だ。ここは安定して美味い。観光客はほとんど来ない。地元客中心の店だ。メニューも日本語などはない。広東語と英語のみだ。しかも文字だけ。菜単(メニュー)に写真等は一切ない。
湾仔のバー
二軒目はバーだ。この辺りは英語の看板が立ち並ぶ、外国人が多いエリアだ。香港に米軍の艦船が寄港すると、街は若い兵士であふれるそうだ。今年は中国が寄港を拒否したために、賑やかにはならなかったそうだ。
入ったのはオープンスタイルのアメリカンな店。店内ではバンドがポップスを演奏している。リクエストも可能だ。シーバスのソーダ割りを飲む。店員の多くはフィリピン人女性。日本語を話すので聞いてみたら、千葉県の蘇我に住んでいたそうだ。
締めのバー
続いて、香港では外国人が締めに訪れるバーがあると言うので行ってみる。
締めのバー?
締めラーでは無く、締めのバー。よく分からないが、地元民に連れられて地下の店に入る。薄暗い店内は立ち飲み形式だ。明るいステージではバンドが演奏している。店内には露出度の高い、若いセクシーな女性が数多くいる。アジア系、アフリカ系、白人系と人種も様々だ。彼女たちはノリがいいのか、私のようなくたびれた五十路のおっさんにも気軽に声をかけてくる。
「 彼女たちは店の客じゃないんですよ。ここに客を取りに来てるんですよ。」
なるほど。呑んだあとに、この店で女の子を持ち帰って一日を締めるわけだ。確かに「締めのバー」である。それで私にも声をかけてくるのか。
ピンポンマンション
気がつけば午前一時を回っている。そろそろ解散しようとなったが、一人がピンポンマンションに行きたいと言いだした。地元民が案内するという。
私も名前だけは知っている。見てみたい。
この近くとは言え、少し歩くのでタクシーで現場に向かう。狭い入口を入り、エレベーターに乗る。22階を押す。最上階だ。エレベーターホールからフロアに向かう。ピンク色の怪しい照明が我々を照らす。ドアには「ちょっと待ってね。」と書かれた札が下がっている。マンション内はかなりの人数の男性がウロウロしていた。
「歓迎光臨」と書かれた札が下がっているドアを見つけた。地元民がおもむろにピンポンを押す。ドアが開く。部屋の中には下着姿の女性が立っている。
「いくら?」
地元民が中国語で尋ねる。
「600」
女性が答える。600香港ドルだ。地元民がつぶやいた。
「高いな。」
別の部屋のピンポンを鳴らす。下着姿の女性に値段を聞く。やはり600と答える。気に入った女性がいなければ、階段で下のフロアに移動する。気にいる女性が見つかるまで、これを繰り返すのだ。
結局、20回はピンポンしただろうか。「お待ちください」と書かれた札の部屋が圧倒的に多かった。たまに白人女性の部屋があった。ここだけは800香港ドル。ロシア人とのことだ。七階だけは一般住居なのでパスする。ここから下は480香港ドルだった。別に低層階が安いわけではなく、たまたまとのことだ。
一人は5階あたりで部屋に消えた。私と地元民は一階まで戻ってきた。22階から階段で下まで降りたのだ。かなりの運動量だ。
日本人に聞きました
翌朝、このことを妻に話した。
「まるで新町だね。」
確かに。言い得て妙だ。香港のピンポンマンションとは、今は亡き沖縄の真栄原社交街こと、通称「新町」をぎゅっと凝縮したマンションなのである。
ちなみに関西の人間にこの話をしたところ「飛田新地がマンションに詰まった感じ?」と言われた。考えることは同じのようだ。
ただ日本語は通じないようなので、日本人が手軽に遊ぶにはそうだろうか。やることやってさっさと帰るのなら問題ないだろうが、コミュニケーションが多少なりとも取れた方が楽しい気がするのだが、ひとそれぞれなのだろう。
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アラフィフで再婚して二人の子どもを授かりました。妻は初めて、私は二度目の育児を夫婦で頑張っています。