2024年4月24日
上砂川町 無重力実験センター実験棟

盆踊りと花火と利き手

前夜祭

令和元年8月12日。昨年のこの日この時も、真椎さんと一緒に砂川市内の居酒屋山小屋で飲んでいた。東京であれば、お盆のこの時期、店はほとんど閉まっている。営業しているのは全国チェーン店ぐらいなものだ。ホテルのレストランも開いているだろう。北海道も事情は同じだろうと考えていた。しかし昨年、飲食店を心配する私に対して、真椎さんは言い放った。

「ほんと大丈夫、この辺はみんな店やってるよ。」

なるほど、砂川といえども北海道である。おそらく帰省する元道民や、遊びに来る観光客もいるのだろう。正直、冷静に考えれば砂川に観光客が来るというのは非常に考えづらい。観光するのはハイウェイオアシス、もしくは北菓楼のお菓子を買いに来るくらいだ。もしくは国道沿いのアップルパイ店に立ち寄る程度だろう。そもそも砂川駅にはホテルが一か所のみ、砂川パークホテルしかない。いくつかの旅館はあるが、観光客が泊る建物ではない。長期滞在者が利用するような、下宿にも似た、そんな宿泊施設だ。

山小屋店内

山小屋はいつも開いていて、賑わっている。飯もうまい。昨年もうまいと思ったが、今年は違う味を楽しめた。山賊焼き、多くの日本国民が、山賊焼きは我が郷土の自慢料理だと勘違いしている。実は、全国至る所に山賊焼きは存在する。そう、砂川にも山賊焼きは存在した。真椎さんがうまいからと勧めてくれたのが昨年だ。

そして今年は、北海道の牛タンもうまいから食べてみてよ。真椎さんに串焼き牛タンを勧められた。言われたままに食べてみる。分厚い牛タンはジューシーで香りよく、脂の甘みとタンの味わいと肉の旨味が混じりあい、匂い立つ胡椒に塩加減も絶妙だ。牛タンの魅力を存分に引き出している。遠赤外線で中までほどよく焼けた牛タンは、食感も柔らかく、仙台に勝るとも劣らないだろう。そもそも、この牛タンは輸入では無い。おそらく北海道産の国産牛である。美味いのは当然だ。こんなものがポンと出てくる、北海道の素晴らしさであり恐ろしさだ。

そして2軒目に行き、3軒目は真椎さんの自宅だ。とても広い。会社の事務所の上にあるのだが、会社には広い駐車場があるため、隣家との距離がかなりある。つまり、どれだけ騒いでも周囲に音は聞こえない。リビングのテレビはカラオケシステムと連携されていた。お宅にお邪魔すると、なぜか奥さんが泡盛を飲もうとしていた。北海道で島酒を飲むとは思わなかったが、まぁたまにはいいだろう。そうして泡盛とカラオケを楽しんだ。真椎さんは酔って寝てしまったが、残された奥さんと娘さんからアニソンとボカロのリクエストがあり、調子に乗って散々歌いまくった。気持ちよかった。深夜にタクシーを呼んでもらい、ホテルに戻ったのだった。

上砂川 仮装盆踊り大会

翌13日、上砂川町で年に一度の仮装盆踊り大会と花火大会である。今年は町制施行70周年の記念すべき年であり、町長が花火大会の予算を例年よりも大奮発した。花火大会はかなり期待できるようだ。

私は上砂川町とは縁もゆかりもないが、縁あって、この四年ほどは上砂川町に折を見ては訪れている。夏祭りを手伝うのも3回目だ。しかし、昨晩の前夜祭が盛り上がりすぎたせいか、私は二日酔いであった。戦力外であった。役立たずであった。ただでさえ五十路と言うことで体が言うことをきかない、体力もない、腕力は若い頃からない。工務店や建設業をやっている先輩に力でかなうはずがない。

仮装盆踊り

そもそもキーボードを打つのが私の仕事の中心であるから、重いものを持つことがない。せいぜいけいたまを抱き上げたり、ゆうたまを抱っこしてあやすのが、私の力仕事だ。こんな非力な私にできる事は、店番くらいだろうか。座ってるだけで良いのだが、西日が厳しい。日差しが強い。北海道は緯度が高いので、気温は低いが、太陽との距離が近い分、日光は強力なのである。

花火大会

花火

仮装盆踊りが無事に終わり、暗くなると花火大会が始まった。打上げ地点と会場が近いので、音楽と同期させながら花火が打ち上げられる。

錦冠菊(にしきかむろぎく) 錦先 銀乱 スターマイン.
錦冠菊(にしきかむろぎく) 錦先 銀乱 スターマイン.

昨年は大雨でひどい目にあった。雨が降る中、強引に花火を打ち上げた。祭りが終わった後は、嘘のように雨が晴れたおかげで、片付けは楽だったが、何か釈然としないものが残った。自然相手なので、仕方がないか。

花火

今年は天気も良く。櫓の上に私ひとり。のんびりと、じっくりと、優雅に花火を眺めることができた。なんて贅沢だ。視野一杯に広がる花火を、人混みでもなく、建物の中からでもなく、外で至近距離で楽しむことができる。人口が少ない、上砂川だからこそ体験できる。

錦菊 緑先緑 点滅 スターマイン
錦菊 緑先緑 点滅 スターマイン

そして運命の瞬間

すべてのプログラムが終了し、片付けとなった。二日酔いのダメージが色濃く残る私も、ふらふらとよろめきながら手伝うことにした。大きなゴミ箱のところにごみを運んでほしいと頼まれた。私はゴミ箱に向かった。その途中、歩道でつまずき、転んで右手をついた。やばい、指が手の甲の方に曲がっていく。私の体重が載る。めりめりと激痛が広がるのが分かる。指が腕と平行に曲がっていた。あまりの痛さに顔が歪んだ。

翌朝、接骨院に行った。マッサージをしてもらうとだいぶ楽になったが、時間とともに内出血がひどくなっていた。おそらく挫傷だとのことだ。柔道整体師が開業する接骨院では診断はできない。一般論として、彼らの経験からして、確信を持って挫傷だと言いたいのだろうが、法律の壁で断言することはできないのだ。

挫傷。そうだろう。

右手挫傷

挫傷とは、皮膚には何の異常もないが、皮膚の内側が損傷を受けた状態である。内部組織や筋肉、関節等、指の付け根当たりを中心に内部で激しく破壊されているのであろう。それで内出血しているのであろう。骨折していなかったのが、不幸中の幸いであった。

大学生の時、体育の授業で、ソフトボールの試合中にフライを取り損ねた。右手中指を剥離骨折した。中指を金属器具で固定され、包帯でぐるぐる巻きにされたために、常に中指を立てた状態で生活していた。それで左手で食事の練習をした。今でも左手で箸が持てるのだが、99%は右手で箸を使っているため、左手ではなかなかスムーズに持てない。

いい機会だ。

右脳の刺激にもなるだろう。これから歳をとって、右手がダメになった時、左手がスムーズにバックアップとして機能するためにも、これはいい機会だと前向きに捉えることにした。

夕食

などと考えておきながら、この日の夕食は、箸を使わずに食べられるものだけを買っていた。

こちらの記事もどうぞ: