2020年4月6日

二十年ぶりの香港 (1)

1996年ごろの香港島の夜景

香港が英国領から中国になって20年ほど経つ。香港には3回ほど来たことがあるが、返還後に来るのは今回が初めてだ。

最後に香港に来たのは1997年。私は一度、中国人の妻と結婚している。その妻との新婚旅行でも香港に来た。当時はヴィトンなどのブランド品の店の前にはショットガンを持った警備員が巡回していた。リージェンホテルから眺める香港島の美しい夜景をよく見ると「ぢ」の大きな看板があったものだ。そう、同年代の人なら分かるだろう。「ヒサヤ大黒堂」だ。

返還前の数ヶ月前のこと、前妻の母から自宅に国際電話がかかってきた。

「旦那はいまどこにいる?」

前妻が答える。

「家にいるよ。」

義母が続ける。

「香港に行かないだろうね?ダメだよ、香港に行ったらダメだよ!イギリスが香港を返したくないから中国と戦争するって、こっちではその話題で持ちきりだよ!」

「不会吧(ありえない)」

と言って前妻は電話を切った。

それで香港に行かなくなったわけではないのだが、たまたま足が遠のいてしまった。当時、北京や台北には仕事で毎月のように行ってはいたが、香港での仕事はなかった。

ヴィクトリアピークから見た香港島(1995年ごろ)

その後、台湾から撤退し、大陸からも撤退し、数年前に会社も清算してからは外国に行く目的がなくなってしまった。もう国外で自分がビジネスに関わることはないと思っていたので、降って湧いたような香港行きに驚いた。しかも単発の出張だろうと呑気に構えていたら仕事の話がトントン拍子に進んで、気がつけば今後もかなりの頻度で香港に来ることになりそうだ。

本当に人生は何が起こるかわからない。

香港は寒い

沖縄から香港まで約3時間。距離にして約1500km。沖縄から東京までとほぼ同じ距離だ。那覇が北緯26度。香港は北緯22度。1度違うと南北に110km離れているから、香港は那覇から南に440km。石垣島や与那国島よりもずっと南、台湾の最南端と同じくらいの緯度にある。

今シーズンの沖縄の冬はとても暖かかった。正月まで半袖だ。十二月のNAHAマラソンは気温が29度まで上がり走るのが辛かったと聞く。自分はマラソンとか自分を苛め抜くドMの競技者の気持ちが理解できないので何とも言えないが、走り終わった後の酒がうまいそうだ。

だから単純に沖縄よりも暑いと思って薄着で行ったらひどく風邪をひいてしまった。沖縄が半袖でいいくらいでも香港は上着が必要だ。11~3月は気温が沖縄より5度は低いと考えたほうがいい。そういえば台湾も冬は沖縄より寒かった。沖合に黒潮が流れている沖縄や日本列島が温暖なのだろう。

ホテルには空調があるが、クーラーだけだ。暖房にはならない。温度設定を26度にしても冷風しか出てこない。沖縄と同じく、冬場は風があるのでビルが冷やされてホテルの室内はかなり寒い。外の方が暖かいんじゃないかと思うくらいだ。

ベッドの布団は厚めなので寝るには問題ないが、部屋の中で下着に浴衣やバスローブだけではきつい。私は浴衣の上にバスローブを着ていた。歩きづらい。出張の準備をしている時にヒートテックの下着をカバンから出したことが悔やまれる。部屋着を用意していくのがベストだと私は自分に言い聞かせる。

香港人は寒くても空調をつけたり窓を開けたりすると言う。口癖のように「息がつまる。」と言いながら外の空気を求めるんだそうだ。家が密集している香港、日本なら違法建築のようなマンションが林立しているのは地震がないからこそ。常に窮屈さを感じている香港人だから「息が詰まる」が口癖なのだろう。

ただ私には香港人の「息がつまる」は建物の窮屈さだけではなく、政治的な意味合いにも受け取れてしまうのだった。

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