泉岳寺の思い出 ~ITスキルの原点~

投稿者: | 7月 11, 2020

赤穂浪士の墓があることで有名なこの地に、私は特別な思い入れがある。昭和63年11月17日。泉岳寺駅から徒歩五分にあった株式会社NSAで、プログラマーのアルバイト面接を受け、即採用となり、翌週から会社に来るように言われた。そして四ヶ月ほど勤務した。アルバイトとはいえフルタイム勤務で、名刺も持たされた。初めての社会人、初めての大規模システム開発を経験した。この体験がもとで、平成となった翌年五月に、ソフト開発会社を渋谷区笹塚に知人と設立したのだった。

もう30年近く前のことだから、当然、大きく変わっているだろうし、自分がどこまで覚えているかも分からない。ランチによく行った店、夜に連れて行ってもらった店、まだあるのだろうか、自分は見つけきれるだろうか、少し楽しみでもあった。

泉岳寺

いつもなら浜松町の社宅に泊まるのだが、この日はすでに予約が入っていて泊まれなかったために、空港までのアクセスを考えて、泉岳寺のアパホテルに泊まることにした。あとで分かったのだが、この日の社宅の予約はキャンセルされていて、実は泊まることができたのだった。

小雨の降る中、アパホテルにチェックインすると、折りたたみ傘をさしながら、あたりを歩いてみた。自分が勤務していた会社の雑居ビルは、第一京浜沿いにあった。道路に面して大きな窓がある、7階建くらいの茶色いビルだ。しかし、あたりは大きく変わってきて、やはりわからない。

この辺りに、よく上司に連れて行ってもらった美味しい寿司屋があったはずだ。私の記憶が確かなら、初めての回らない寿司屋であった。上司は帰り際にいつも折詰を土産に頼んでいた。ああ、波平さんもこうやって買うんだなと思ったものだ。その店はステーキ店に変わっていた。あと二箇所ほど、ランチによく行った店じゃないかと思しき飲食店もあったのだが、自信がない。

思い出は思い出のままにしておこう。