グリルやまいち ポークチャップ

北海道 砂川駅 グリルやまいち ポークチャップ定食

悲報は続く

昨晩は食事をしようとした店が二か所も消失していた。なんて事態だ。幸い新しい店を見つけることができ、災い転じて福となすであったが、本当に油断できない。昨今、飲食店が閉まる理由は様々だが、経営者の高齢化や人手不足による閉店が営業不振を上回っているという話もあるくらいだ。とりあえず朝食はグレイスリーホテル定番のセルフ海鮮丼である。

本日の日程は、これから砂川に行き、午後二時より上砂川町で会議に参加。その後に小樽に移動し、19時から会食である。必然的にランチは砂川駅前で食べることになる。そうだ、いい機会なので、まるとも食堂に行こうではないか。砂川駅前の朴ホテル向かいにある、安くてうまいラーメン店で、いつも車が列をなしていると地元民が言っていた。確かに昼時は店の周りがごった返していることが多い。砂川駅前でのランチなど食べる機会はそうそうないので、まさに好機。

特急ライラックで砂川まで行き、店舗に向かう。だが店が見つからない。こんな簡単な道順に迷ったのか?Googleマップで確認すると、店を通り過ぎていた。少し戻るが、やはり店が見つからない。

なぜだ?

地図に指示された地点にある建物は確かに飲食店向けのようだ。え?もしや、これはまるとも食堂だった建物…?えー、ここも閉店したの???

なにか私の身近が閉店ラッシュのようだ。ショックを受けながらも次のオプションを考えた。この近くにはパークホテルのレストランがある。だが、こないだもここで食べたばかりだ。他に見せは無いのだろか。駅前のロータリーへと戻ってみた。目に入ってきたのは、駅前の喫茶店。

一抹の不安を感じながらも、グリルと書いてあるのだから食事くらいできるだろうとドアを開けた。

グリルやまいち

店に入る。店は高齢のお婆さんが一人で切り盛りしているようだ。足が悪いみたいで、段差の上り下りが辛そうである。耳も遠いのか、なんだか話が噛み合わない。

さて、なにを食べようか。

メニューを見る。おお、これだ。ところが生姜焼きはできないと言う。ポークカツもダメだと言う。まだ肉がきてないとのことだが、もう午後1時である。一体、いつ頃届くのだろうか?店内の家庭用冷蔵庫を開けて食材をチェックするおかみさん。なにが作れるのか尋ねると、ポークチャップならできると言う。

えー、それだけは嫌だったのに…仕方がない。なぜポークカツはダメでチャップがOKなのかは分からないが、砂川名物のメニューだ。たまには食べるとするか。

客は誰もいない。それどころか駅前に人がいない。寂しい街なのだ。店内にはワイドショーの音声が響くばかり。

しばらくして料理ができあがったようだ。痛々しくて見てられないので、カウンターまで料理を取りにいく。まずはポークチャップがのった鉄板、次にスープの入ったコップ、そして、あああ、そんなにご飯を盛らないでください、食べられない。てんこ盛りのご飯を自席に運んだ。

ポークチャップ定食

自分でテーブルに並べたポークチャップ定食。撮影の都合で手前に鉄板を置く。いい香りだ。ジュージューと肉の焼けるサウンドも食欲を刺激する。

スープは薄味のコンソメ、多めに入れられたネギの薬味の刺激と甘みがとても合う。意外なうまさに意表をつかれた。

まずは付け合わせから食べてみよう。焼きピーマンがうまい。素材の甘さが際立つ。ソースは酸味控えめで、素材の魅力をぐっと引き出しているかのようだ。ご飯にも合う味付けである。 ポテトフライがふにゃふにゃなのは残念。

肉は柔らかく、ロースの旨味と脂の甘味、優しい味のチャップソースが肉の潜在能力をしっかりと引き出しているではないか。肉質も柔らかい。これはいい。生まれて初めて、ポークチャップを美味いと認識した。石狩で食べたときは酸っぱくて大して美味くなかったのに、この差は何なのだ。年季の入った老婆が作る素人じみた料理が、一流のコックが作り出すホテルの料理を凌駕すると言うのか。ああ、ニンニクの香りもたまらない。ごはんも普通の炊飯器で炊いているだけなのに、なぜにこれほどまでに美味いのだろうか。水がいいのか?米がいいのか?北の大地はどちらもいいのだ。

肉は見た目よりもボリューミー。これは食べきれないとてんこ盛りにされたはずのご飯がほとんどなくなっている。ポークチャップを切り分けるサイズを大きめにして、ご飯のペースを下げる。

完食。お腹いっぱい。満足だ。

正直言って、まったく期待していなかったポークチャップ。いやいや仕方なく食べたようなものだ。喫茶店で一人切り盛りする女将さんの姿にもかなりの不安があった。

だが、食べて正解だった。

私が今日、この店に入ったのも、ポークチャップを注文したのもアクシデントだ。だが、偶然が二つも重なれば必然だ。私のランチは運命によってプログラミングされていたに違いない。人生とは分からないものだ。10分後の自分すら想像を超えるのだから、生きるのは楽しい。

(Visited 53 times, 1 visits today)