新旬屋本店 鳥中華クラシック ワンタンメン

新庄駅 鳥中華 新旬屋本店 鳥中華クラシック ワンタン麺

山形県民の酒の締め

駅前の施設でとある大会の大懇親会に参加した。終盤、お囃子とともに会場に入ってきたのは、地元新庄まつりで繰り出される山車の数々。祭りさながらの迫力である。

お囃子にも力が入る。太鼓、笛、などの伝統楽器で演奏される日本の祭りの象徴だ。街の若手が受け継ぐ技に支えられているのがその地域の伝統なのだ。若手がいなくなれば、祭りも伝統も消滅する。これが日本全国で起きていることだ。

バスで二次会会場のある繁華街に移動。大懇親会であまり食べずに飲んだせいなのか、体調がイマイチのためか、酔いが回る。あまり記憶がない。時間ですよと店員に告げられて店から放り出された私は、ふらふらと雨がしとしと降る繁華街を徘徊していた。タクシーばどこだ?傘を置いてきたので雨が冷たい。ハンカチを頭に載せて彷徨う私の眼前に現れたは鳥中華の三文字。

気になる。

だが、このときの私は、何故か鳥白湯と勘違い。ああ、鳥のさっぱりした塩か醤油ラーメンを食べて帰ろうと、心に決めて店に入ったのだ。

鳥中華 新旬屋本店

最初の関門はラーメン店お約束の券売機。メニューも分からんのに選べるわけがない。

幸いなことに店内の客は少なめ。現在時刻は22時過ぎ。締めにはまだ早い時間であろう。壁面のメニューを眺める。

よく分からん。

なんとなくクラシックならばキテレツなものが出てくることもないだろうと、金を入れてボタンを押す。なんだ、これ?ワンタン麺?間違って押したか。まあ、なんでもいいや。

ドリンクは自販機で購入するシステムだ。角ハイを購入する。

壁には芸能人のサインが飾ってある。私が知る芸能人も多数いる。結構な人気店なのだろう。

鳥中華クラシック ワンタン麺

私のどんぶりが運ばれてきた。かりかりに揚がった蓮華の揚げ玉をスープに溶く。空になったレンゲでどんぶりを満たす液体をすくい、疲れ切った胃に流し込む。

ああ、鼻を抜ける力強い豚肉の匂い。

コシも伸びもある麺がスープとよく絡む。なかなかのものだ。相性も良い。これはまさにぶっかけ蕎麦だ。冷たい蕎麦のノリで食べようとしてしまう。スープはラーメンというよりそばつゆだ。

それもそのはず、鳥中華とは蕎麦つゆにラーメンを入れたご当地グルメなのである。山形では常識なのである。

よそ者の私にそんな暗黙知の情報共有などあるわけもなく…いや、わたしは鳥中華を知っている。だが、酔っていて頭の回転が鈍いどころか逆回転しそうな状態では、記憶を想起させることは、シンジがいきなりエヴァ初号機に乗り込んで動かすくらい困難なのだ。

しかも、最後に鳥中華を食べたのは四年以上も前だ。酒の締めに食べるものだから、昼間やランチに食ったりはしない。そうだ、天童の水車で「なんだこりゃ?」と思いながら食べた記憶がある。ついでにぶっとい田舎そば閉口した記憶も蘇る。

蕎麦つゆに豚肉の脂がたっぷりと溶け出して、見た目はラーメンのスープのようだが、脂の甘味とコクが追加され、マイルドかつリッチな味わいに変貌している。麺は熱々で、普通にズズッとすすろうものなら口の中が大パニックに陥り、ハフハフと悶えながらハイボールを流し込もうとするが、すでに酒を受け付けない身体にそれも厳しく、慌ててお冷やを流し込んで大事なきを得ることになる。

いや、すでにやっちまった。

なので少しずつ少しずつ、娘のけいたまがチュルチュルを食べるかのように、少量の麺を取って食べる。これならば火傷のリスクは90%ほど減少する。

ああ、なぜだろう。山形の郷土料理を食べているのに、なんだか懐かしい味がする。

エビワンタンは味が濃厚だ。スープをしっかりと吸ったプルプルの皮の食感もたまらない。鳥中華とワンタンがこれほどのマリアージュを生み出すとは正に和中折衷、薬師の独り言の世界なのである。

ふー、美味かった。食べ終えて一息ついた私は、ようやく周りを見回すだけの余裕ができた。ふと左隣の客が食べているつけ麺をガン見してしまった。釜飯用の鉄鍋でつけ麺を食べている。およそ似つかわしくない組み合わせである。メニューを確認すると、こちらもつけ麺クラシックであった。昔ながらは熱々をキープするために工夫がなされていたのだな。

ごちそうさまでした。またいつか食べることもあるだろう。またその日までさらばだ、鳥中華。

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