上ロースかつ

新橋駅 とんかつ 河 上ロースかつ定食

新橋駅 とんかつ 河

本日も新橋駅でランチをとる。お盆休みの最終日、しかも日曜日。オフィス街は日曜日に飲食店はほとんど空いていない。しかし、新橋は観光客や遊びに訪れる人々が少なくない。基本的にはオフィス街であるが、なぜかたい焼き店だったり、金券ショップもあったり、意外と遊べる場所がある。社宅のある浜松町近辺は壊滅状態だ。新橋駅に来るしか、ランチを食べる方法がないのである。

昨日はニュー新橋駅ビルで食事をした。土曜日でもほとんど店が空いていないのだ。日曜日は全滅だ事は容易に推測できる。なので、少し足を伸ばして西口の先の方まで来てみた。この辺は以前、オニヤンマでうどんを食べたことがある。おそらく他にも店が開いているのではないだろうか、そんな根拠のない推論に従い、ランチを探す。

さて、何を食べようか。

食べたいものを選ぶ、と言うよりは、空いている店から食べれるものを選ぶ、と言う方が今の場合正しいだろう。贅沢は言えない、選択肢はおそらく少ない。しかもその選択肢が何なのか、それすらわからない、読めない、見えない。

お盆休みの日曜日でも新橋は人通りが多かった。閑散としている浜松町界隈とは大違いである。何か店はないか、オニヤンマでうどんを食べるのでは少々物足りない。少し先に一軒のトンカツ屋を見つけた。しかも営業中である。これ幸い。とは言え、トンカツ屋もピンキリだ。店を眺めてみる。

「とんかつ一代 こだわり続けて50年」

ふーむ、十代後半からトンカツ屋に従事したとして、50年も経てば料理人の年齢は70歳手前と推測できる。人間国宝級のベテランといえよう。もちろん長くやっていても、腕の悪い者はどの世界にもいる。だが、ここ新橋で、数多の飲食店がひしめき合うこの土地で、恐ろしく家賃の価格が高いこの地域で、50年も営業できているとはただものではない。

ディスプレイにはとんかつの特長が記載されている。

とんかつは肉厚に限ると主張している。同感だ。味噌汁は豚汁かなめこ汁が選べる。気に入った。ここで食べることにしよう。

ドアを開けると、年季の入った渋い内装、店内には華やかなクラシック流れる。いや、昔の外国映画音楽だ。モノクロの白人男女が言葉を交わし、踊る情景が頭に浮かぶ。店は満席だ。たまたますぐにカウンターの一人席に座ることができた。

メニュー

さて、何を食べようか。

「上ロース1750円」

会計をする客に、フロア担当のお母さんが言った。なるほど、カウンターの客が食べているのも上ロースですある。ならば私も上ロースにするのが無難というものだ。味噌汁はもちろん豚汁なのだ。トンカツ屋の豚汁は美味いと相場が決まっている。

厨房ではコック服を着たベテランのお父さんが時折、肉を叩く。テーブルにはごま、甘口ソース、辛口ソース、醤油、塩、七味に辛子だ。

客がドアを開けた。お母さんが満席なので待つように伝える。夫婦ともに70歳は過ぎてるだろう。トンカツ一代50年だ。まごうことなき職人の技、いぶし銀。あと数年でこの店は無くなるに違いない。たまたま出会えたことに感謝である。

上ロースかつ定食

ついにとんかつが運ばれてきた。

肉厚で見るからにボリュームのあるとんかつ、奥にそびえ立つキャベツの山、脇にはパセリの緑が映える。漬物も手作りの浅漬けだ。既製品ではないのが嬉しい。昨今は沢庵や柴漬けなど、保存がきく既製品をちょこちょこっと定食につける店が多すぎる気がする。漬物をバカにするな。日本の伝統食だ。そして豚汁にご飯。まさに正統派のとんかつ定食一式なのである。

まずは汁ものからいただくのが定石。豚汁は具だくさんでダシが効いている。野菜の旨味が十分に出ている上に、肉がでかくて柔らかい。脂身が少ないので、いかにも肉を食べている感が強い。その上、お椀を長時間持つことが困難なくらい熱々だ。これなら最後まで冷めることもないだろう。

続いてとんかつをいただく前の儀式に移る。英語で言えば “ritual”だ。辛口ソースと甘口ソースを同量ずつとんかつに垂らす。その上にごまを振る。キャベツには醤油だ。ゴマすり用の小鉢もなく、キャベツにかけるドレッシングもない、昔ながらのとんかつ屋がここにある。今ではとんかつ店の標準スタイルとなっている、新宿さぼてんのとんかつは、ある意味、斬新だったのだ。それまでとんかつのキャベツにかける調味料は、醤油か塩だ。ミスター味っ子には、とんかつにもキャベツにもソースをどばどばかける、不健康な客の話もあったはずだ。

さあ、ランチのメインの上ロースかつ。肉厚な豚肉は私にどんな味わいを与えてくれるのだろうか。少しは回復した右手で箸を持ち、真ん中のとんかつから食べようとするが、なんという重量感。手が痛くて持ち上げられない。 万有引力の法則にしたがえば、2センチにも達する厚みの肉が相応の質量を有する当然のことだ。箸を左手に持ち替えてロースカツを口に運ぶ。

前歯でとんかつをかじる。サクッと音がする。軽くてしつこくない、だがしっかりとした存在感があるいい衣だ。そのままあごに力を入れ、衣の内側に前歯を差し込む。スッと入るではないか。肉はすごく柔らかい。これだけでも豚肉の脂の香りが口の中に侵入し、立ち込め、ふわっと広がる。そのまま容赦なく噛み切った私は、口腔内の一片を奥歯ですりつぶす。ああ、噛みしめるほどに肉汁があふれてくる。脂の甘みと肉の旨味を邪魔することのないサクッとした衣。肉と衣の感触を上下の歯で確かめながら、ミキサーのごとく、とんかつが微塵へと化すに従い、サポート担当のソースとゴマの香りが一体化していく。

ああ、美味い。

キャベツは薄く、みずみずしく、しっかりとトンカツを受け止める。ご飯もうまい。パセリもいい。大きい。私は大好きだ。キャベツと一緒にかじると、独特の癖のある香りが鼻を抜ける。うん、やはりとんかつにパセリは欠かせないな。自宅では難しいので、店で食べるときは添えてほしい。

豚汁に七味を加える。味わいが広がる。いまだ熱々だ。ボリュームがあって重くて右手では痛くて持てない。

これだけ分厚い肉だ。塩で食べてもうまいはず。仮説を検証する。あたり。肉の旨味をダイレクトに味わえる。最初からソースを全体にかけるべきではなかった。戦術ミスだ。

ほんのり酸味の効いた漬物が箸休めにちょうどいい。

トンカツだけでも250グラム、ものすごいボリュームだ。さらに豚汁にも肉塊がごろごろ。キャベツもご飯もお代わりは不要。腹がいっぱいだ。嬉しい誤算だ。

いい店を見つけたが、とんかつ五十年。弟子はいないようだ。夫婦で切り盛りしていると言うことは、おそらく五年以内に皆に惜しまれつつ閉店するだろう。その後には流行のホルモン屋か焼き鳥店にでもなっているだろう。こうしてベテランの技は継承されることもなく、消滅していくのだ。名店を作り上げるには長い時間がかかるが、潰すのは一瞬だ。

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