蕎麦 荒又
市場を出て、外を歩く。ふと目に付いたは蕎麦屋である。私好みの店構え。隣の寿司屋も気になるので見てみる。
小樽産シャコ。たちポンにタチ天。いずれも食べたいが、これでは酒抜きで済まなくなる。
ダメだ。
ふと目の前に道路を横切るスーツ軍団が歩いているのに気づく。知り合いだ。声をかけると、あんかけ焼きそばを食べてきたという。小樽のB級グルメだろうか。今晩の締めに食べるような気もする。うん、決めた、蕎麦にしよう。私は180度反転すると、蕎麦屋の暖簾をくぐった。
店イチオシの小樽地鶏せいろをセレクト。親鳥を使うので肉は硬いというが、問題ない。蕎麦を待つ間に地鶏の説明を読んでみる。さて、吉と出るか凶と出るか。
小樽地鶏せいろ
待つこと10分。私の蕎麦が運ばれてきた。おうふ!蕎麦は真っ白な更科。細くて角が立っている。ピカピカのツヤツヤだ。
嬉しい。
東京ではこのような蕎麦になかなかお目にかかれない。江戸前蕎麦などというが、国内最大の蕎麦の産地の上に、寒冷で水も綺麗な北海道。これだけで東京はすでに負けている。どれだけ腕が良くても、水と素材と気候のハンデは覆し難いものがあるのだ。
札幌の志の家や花喬、岩見沢なら福松、北見なら更來等、道内には細くて白くて美しい更科蕎麦を打つ店がいくつもあるのだ。もちろん、私がまだ知らぬ名店も数多く存在する。
鶏肉は食べやすいように小さく薄くカットされている。食べてみると硬いのと、歯ごたえがしっかりしてるのと、硬くない肉の三種類が入っている。いずれも噛めば噛むほど味が滲み出てくることに変わりはない。
そばつゆに鳥の濃い出汁と脂が溶け合って醸し出されるリッチな味わいに、ネギと三つ葉の香りが華を添える。これに更科蕎麦をたっぷりとつける。香りが飛ぶなどという心配はいらない。味と香りがしっかりしているこの蕎麦には、簡単には汚されない高貴さが込められているかのようだ。
ああ、美味い。あっという間に食べてしまった。残りのつゆに蕎麦湯を足せば素晴らしいスープのできあがりだ。和風チキンスープとでも呼べばいいのか。立派な一品だ。うーむ。食べ終えて迷う。量が足りないだけでない。この蕎麦をもっと味わいたい。せいろを一枚お代わりするのか、新たにもりそばを食べるか、激しい葛藤に襲われる。店を出て、小樽名物あんかけ蕎麦を食べるという考えはない。
おかわり
うーん。
鳥せいろなどの温かいつゆは美味しいのだが、本来の蕎麦の味と香りを楽しむなら、蕎麦つゆに薬味のシンプルな組み合わせだ。こんな更科蕎麦にお目にかかる機会は私にはそうそうない。少なくとも、今月はもうないだろう。
ならば、蕎麦本来の食べ方で味わうのが通というものではないか。別に私は通ではないが、とにかく蕎麦を食べたいんだよ!
すいません、盛りください。
盛り蕎麦
きたきた、ピカピカに光る、真っ白で美しい蕎麦。少量を箸で取り、何もつけずに食べてみる。伸びやかでコシのある蕎麦を口に入れると、ほのかに香り立つのがわかる。辛口の蕎麦つゆに少しつけて一気にすする。
おお!
口の中で蕎麦の香りが開き、力強いつゆをしっかりと受け止めながら、喉の奥へと滑らかに進んでいく。喉越しがたまらない。
これだ。
蕎麦の醍醐味はこれだ。脂の甘みもいいのだが、蕎麦を楽しむならやはり基本だ、原点だ。もう止まらない。ひたすら蕎麦を食べる。
新しい蕎麦湯が運ばれてきた。何も入っていない蕎麦猪口に蕎麦湯だけを注ぐ。口に近づけると香りが広がる。ほんのりトロッとしたスープを飲み込む。このシンプルさがいい。お茶ともお湯とも違う、独特の飲料だ。美味い蕎麦のゆで汁は、そばつゆを入れても入れなくてもうまいのだ。
満足である。
会計を済ませて店を出る。改めて隣の寿司屋を見てみれば、やはり美味そうだ。まもなく旬を終える小樽産のシャコも食べてみたい。きっと夜に食べられるだろう。この時の私は、夜の懇親会会場がビアホールであることをまったく忘れていたのであった。
数年前に五十路となったバツイチ男性。昨日は沖縄、今日は北海道、明日は四国…出張三昧の日々、三年間で制覇した店は千店舗を超えた。日本全国及び海外での食事を記録したブログである。五十路とは本来「五十歳」を意味するが、現代社会では「50代」と誤った認識が定着している。それにあやかりブログのタイトルを名付けた。(詳しく読む…)