レタス巻き

宮崎市 宮崎駅 元祖レタス巻き 寿司処 一平

理不尽と人生

仕事をしていると、たまに、主催者は何を考えているんだと、理解に苦しむイベントにに出くわす。今回がまさにそうだ。会議開始時刻が12時。正午。ランチタイム。

世間一般では昼食を取る時間である。

ランチョンであれば疑問の余地もない。喰うもんを食ってから会議に臨めばいいだけだ。その案内もなかった。ならば、ブランチでもして来いと言うのか。

愚かな。

一日三食という業を背負った我々に、貴重な一食を捨てろなどと強要する権利は誰にも無い。あるはずがない。健康的で文化的な最低限の生活は、日本国民が持つ基本的人権であり、日本国憲法において保障されている。金がなければ一日二食にしろなどとは、条文のどこにも書かれていない。

そもそも、無いのは金ではなく時間だ。おまけに前日、遅くまで飲みすぎて、朝食を食べたのは九時頃だ。この状況で会議前のランチは医学的に問題がある。若くは無いのだ。糖尿病ではないが、五十路は血糖値や摂取カロリーを気にするお年頃なのである。若い女性との違いは、血圧と尿酸値が加わることである。デリケートなのである。

仕方ない。

ランチは諦めて、夜まで我慢するしか無い。人は生きていく上で、数々の理不尽と相対していく。納得できずとも、現実的な解を導き出し、乗り越えるほか、道はないのだ。

そんな私の目の前で宮崎牛弁当を食っているヤツがいる。

ああ?!
どないなったんじゃあ?!

「弁当申し込んでおいたんですよ。」

そいつは獣肉を頬張りながら、涼しい顔で言い放ちやがった。聞いてない、断じて聞いていないぞ。いつ、どこで、何時何分何秒に弁当の案内があったと言うのか、申してみよ!

「メールで案内が来てましたよ。」

あ、そう。私の参加が決まったのが会議の直前だから、事務局が忘れたのか。そういうことか。

もう、いいよ。

好機、到来

予定では最初の会議が14時30分まで、次の会議は14時45分からであった。しかし、14時には会議が終了してしまった。つまり45分ほどの空き時間ができたと言うことだ。

まさに天啓。

今、食べずして、いつランチを食すのだ。時は金なり。迅速に行動するべし。ホテル付近は会議前に索敵済みだ。ターゲットはホテル近くのうどん店なのだ。二時間ほど前に、私の眼前で弁当をかっ喰らっていた山根氏も一緒に行くという。二人でそそくさとホテルを出た。

歩くこと数分。我々の目の前に現れたのは、廃墟のような店であった。ネット上にはキャンプに来た巨人軍の選手が食べに来る店と書いてあった。それだけの繁盛店が、なんだこれ?とても営業しているように見えない。呆然とする私をよそに、山根氏が店の中にいたスタッフに、営業中なのかを尋ねている。

「すいません、建て替えで閉店したんですよ。」

オーマイガッ!マジか?!心が折れそうだ。山根氏が続けて尋ねる。

「この辺りに他に食事ができる店はありませんか?」
「そうですね、レタス巻きくらいかしら…」

レタス巻きだと?確かにホテルへの道中、その店を確認した。ここからだと、その店までの道中に、営業マンがサボるのに適したカフェもあったはずだ。まさに闇の中の一点、希望は人間を奮い立たせる。私は再び歩き出していた。数分で着いた。ここだ。

元祖レタス巻き 寿司処 一平

暖簾も出たままだ。営業中であるか。ガラガラと年期の入ったドアを開けて店に入る。店内にはほとんど人がいない。奥のテーブル席に案内される。さらに奥にはお座敷席があり、昼から酒をかっ喰らっている大声で騒いでいる団体客がいた。

いいご身分だな。

どんな奴らが飲んでるのだろうとお座敷を覗き込んでみた。

「あれー?けいたまパパさん!」

知り合いかよ!お前らかよ!楽しそうに飲んでるんじゃねーよ!こちとらまだ会議なんでい!再び私に絡みつく理不尽。割り切れなさが心の闇にひたひたと染み広がっていく。ああ、なんてうまそうにビールを飲んでやがるんだ。分かった、お前らは私の視界と脳内から一時的に消除してやる。

消えろ。

さて、山根氏と二人でメニューを見る。ああ、これか。レタス巻き。歌手で作曲家の平尾昌晃氏が考案したと、店内入口付近の壁に説明があった。オリジナルマヨネーズに大きなエビとレタスを巻いた海苔巻きらしい。

まあ、食べてみるか。

「僕、お腹すいてないんですよねえ。レタス巻きを一口食べられればいいです。」

山根氏が言った。あんた、宮崎牛カルビ弁当食べてたもんな。私はオーソドックスに海鮮丼を注文した。もちろん、サイドメニューはレタス巻きだ。

宮崎の味 元祖レタス巻き

大変申し訳ないが、宮崎と聞いて思い浮かべるものの中に、レタス巻きは無い。地元で勧められたこともない。

「今では全国で口にされているレタス巻き」

うーん、それはレタスの葉っぱでいろんなものを巻いて食べるやつではなかろうか。

平尾昌晃氏と言えば、最近は相続争いで脚光を浴びているが、私の世代ならば間違いなく「カナダからの手紙」であろう。畑中葉子とのデュエットだ。「後ろから前からどうぞ」は子どもの私には刺激が強すぎた。理解できなかった。いや「ときには娼婦のように」よりはソフトであったか。

なんの話だ?

なんでもいい、先に出てきたのはレタス巻き。ただの太巻きだ。これ一つで二人とも満腹になれそうなボリュームだ。山根氏と一切れずつ食べてみる。

うーん。

レタスとエビとマヨネーズの味。ただ、それだけだ。特筆すべきものは特にない。食べかけのレタス巻きを見つつ、山根氏がつぶやいた。

「これって、平尾昌晃が考案したから有名なだけであって、普通の人が考えついても相手にされないですよね。」

禿同(激しく同意)である。

続いては私の海鮮丼。冷たいご飯、酢飯を使ったどんぶりだ。刺身の下からマグロの切り身がゴロゴロと出現する。いつも思うのだが、サーモンは北海道産だろう、九州の海鮮ネタには使って欲しくないのだが…ふむ。これは普通のサーモンではなさそうだな。臭みなく、脂がのった上品な甘さだ。調べてみると、宮崎の西米良サーモン。山の中で養殖された地魚のようだ。

エビやイカも悪くない。醤油は甘口と辛口がある。ボリュームも十分。時間があればゆっくりと味わうものを、限られた時間では味覚を堪能するのもそこそこに、かっ喰らうしかない。贅沢は言えない。食えるだけでありがたいのだ。

レタス巻きは断念した。これほどのボリュームとは思わなかった。ハーフをお願いするべきであったが、そこは何事も経験である。他人に勧める時は、四人以上で食べるように伝えることとしよう。

会計を済ませながら、再びレタス巻きの資料に目を通す。昭和のノスタルジーであるか。若い人の中には、米津玄師走っていても、平尾昌晃氏を知らない人も少なくないだろう。まもなく平成も終わる。いつまでも昭和を振り返っていてはダメなのだ。残りの人生、新しい元号のもとで過ごすのだから、レタス巻きは歴史の1ページとして、心のアルバムにでもしまっておこう。

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