二年ぶりの石巻
団体用の個室もある。
sushi bar 樹琳
モダンジャズが流れるおしゃれな寿司や。
メニューは達筆な上にワビ、サビがある。和風テイストのおしゃれ感あふれるデザインに、味のセンスをうかがい知ることができるというものだ。
生ものをいただく
お通しはいくらおろし。東北地方と北海道は鮭の産地である。安心して旬のイクラを味わうことができるのはさすがである。ワサビのアクセントが思いのほかいいアクセントになることに気づかされる。今後、自宅でも試してみよう。
カツオ刺身、時期的に戻りガツオだけに脂がしっかりのっているにも関わらず、意外にさっぱりしてる。カツオ独特の味わいは、やもするとくどすぎたり、強すぎたりして味のバランスを崩してしまったりするが、ほどよい個性に好感が持てる。薬味と合わせて食べても自分を見失わないのがカツオの素晴らしさだ。いいねえ。
しめ鯖と炙りしめ鯖の食べ比べとでも言おうか。サバはたっぷりの脂がのっている。いや、ちと、のり過ぎだ。それだけに甘い。締めることによって水分を失い、己の魅力を濃縮されたサバだけに甘い。これだけのサバであればと、人吉での食べ方を思い出した。柚子胡椒をリクエストする。ワサビも醤油もいらない、柚子胡椒だけで食べた炙りはなかなかのものだ。だが、しめ鯖はわさび醤油の方がいい。柚子胡椒では魅力が半減してしまった。単につけすぎただけだろうか。
ほや刺身。つやつやに輝くシズル感あふれるその身には臭み無く、磯の香りが混ざりあった芳しい匂いが鼻をくすぐる。ひんやりしたしなやかな身に歯を立てると、じゅわっと旨味があふれてくる。ワサビ醤油もいいのだが、ポン酢で食べるとさらに旨味が引き出される気がする。
隣の客が食べている穴子炙りを見て、私も便乗する。見た目にもう、旨さがあふれている。視覚から刺激された私の視床下部が、副交感神経に唾液の分泌を指令する。口の中によだれがあふれてくる。こいつを食べないわけにいかない。
焼き物と揚げ物
視覚で刺激された次は嗅覚だ。炙る穴子から発生した香りが空中を漂い、私の嗅覚受容体に到達する。接続された神経の先には視床下部があり…以下略。どこまでもじらすつもりなのだな。放置プレイか?私は好きではない。
そうして待つこと数分。ようやく眼前に現れたあなごに、焦らず、落ち着いて、確実に着手する。芳ばしい身の上に千切りキュウリを載せて口に運ぶ。ああ、ほろほろだ。口の中でたっぷりの脂と旨味を放出しながら崩壊し、やがて消滅する。タレも甘すぎず、きゅうりがさっぱりとした味わいを提供する。まさに和のコンチェルト。
だが、この程度ではまだまだである。海苔とガリをリクエスト。海苔の上に穴子を載せ、ガリとキュウリをトッピングし、くるんで食べる。
おうふ…ガリの甘酸っぱさで味わいが広がる。それぞれの個性を海苔がまとめ上げてしまう。酒が進む。
漬物盛合せ。カンピョウが激うまである。寿司で巻くやつをそのまま出しているだけなのだが、なんだこれ?巻物よりも、こうやって食う方が美味い。新発見だ。自宅で食べることがない野菜の代表格だけに、鮨屋を訪れたときだけ食べられる、ひそかなぜいたく品である。
げそ天。酒飲みには、甘口の天つゆよりも、塩で食べる方が好みである。揚げ物なのに、するすると胃に入っていく。素材が素晴らしいのだろう。ゲソは肉で言えばホルモンである。不用品、もしくはメインの部位ではない。しかしゲソにはゲソ独特の香り、旨味、食感がある。寿司でもゆでたゲソより生の方が好きだ。
ふと、なにげに天つゆにつけて食べてみた。なんということだ。甘くない。天つゆがきりっとしまった辛口である。衣に程よくしみ込んで、塩よりも味わいが広がる。まさに酒飲み仕様だ。
巻き寿司
このあたりから記憶が定かでない。あなきゅう巻。おいしゅうございました。
中トロ鉄火巻を食べたと思う。美味しいとしか記憶がない。
新進気鋭の職人が、しっかりと目利きした食材を使い、奇をてらわず、基本と伝統を軸に、若さあふれるセンスをさりげなく活かした和食。いぶし銀の店もいいのだが、チャレンジ精神あふれる店もまた楽しい。
数年前に五十路となったバツイチ男性。昨日は沖縄、今日は北海道、明日は四国…出張三昧の日々、三年間で制覇した店は千店舗を超えた。日本全国及び海外での食事を記録したブログである。五十路とは本来「五十歳」を意味するが、現代社会では「50代」と誤った認識が定着している。それにあやかりブログのタイトルを名付けた。(詳しく読む…)