焼鳥 一力

東京都港区 浜松町駅 金杉橋口 焼鳥 一力

焼鳥 一力

「すいません、今夜、お時間いただけますか?」

知人から急な連絡があった。声の調子が切羽詰まっている。どうやらなにかやらかした感じである。夜に浜松町駅の金杉橋口で待合せることにした。

午後7時、約束通り落ち合う。なんだか元気がない、少し顔色も悪い。とりあえず、めしでも食いながら話をしようと当てもなく、第一京浜に向かって歩いた。

あ。

いつも煙くて店の前を歩きたくない店がある。それだけ大量の焼き鳥を調理しているのだが、ここに入ってみるか。

伝統的な焼き鳥調理と電子サイネージの看板、アナログとデジタルの組み合わせが令和という時代を象徴しているかのようだ。知人もこの店でいいと言う。

では、今日の晩飯は焼き鳥だ。

メニュー

店頭メニューを確認する。12月だ。寒い日は鍋料理が恋し宇なる。本日のお薦めは刺身。焼き鳥店なのに、焼き物が掲載されていない。

季節料理お薦めメニューを見る。揚げ物がメインだ。店頭であれだけもくもくと煙を吐きながら調理している焼き物はお薦めでないんかーい?とツッコみたくなる。

料理

オニオンスライス

まあ、いい。店内はかなり込み合っている。二人掛けテーブル席に通された。トイレは地下階。なんと、この店は2フロア構成なのであった。居酒屋や焼き鳥のレイアウトとは思えない。元は喫茶店だったのではないだろうか。

まずはオニオンスライス。さっぱりとしたみずみずしい玉ねぎからマイルドな刺激が広がる。噛むごとにすがすがしい芳香が弾け出る。なんだか健康になりそうな錯覚に陥る。知人はまったく箸をつけない。相当、落ち込んでいるようだ。

もつ煮こみ

続いては居酒屋の定番、もつ煮。丁寧に処理された内臓からは臭みもなく、やわらかくてコクがある。野菜と味噌がモツをフォローし、ねぎの薬味が味わいを広げていく。ああ、これぞ居酒屋の真骨頂。知人は相変わらず箸をつけない。なんだか一人で食べてしまって申し訳ないが、私は腹が減っているのだ。

知人が話し始めた。お世話になっている取引先の社長に、暴言を吐いたらしい。喧嘩や売り言葉に買い言葉、と言うのではなく、言ってはいけないことを話してしまったらしいと言う。自分がしたことが良かったのか悪かったのか、判断がつかずに困惑しているようだ。そして、どうもマズったらしいと感じているようだ。

話を聞くと、その社長と会う前に打ち合わせをした、初対面のリクルート社の営業マンから「ガツンと言わなきゃだめですよ。」と無責任なアドバイスをされ、なぜかその気になってしまい、ついつい言ってしまったとのことだ。

若気の至りあるある、である。

トマトスライス

野菜がもう少し食べたい。トマトスライスを注文する。熟したトマトが丸ごと一個、スライスされて出てきた。マヨネーズが添えられているのが嬉しい。塩分をほとんど含まない素敵な調味料だ。トマトの甘みも十分にいいのだが、同じ味が続くと単調になる。そんなとき、変味するのに重宝するのだ。

本人は満を持して伝えたようだが、それを聞いた社長の表情がみるみる曇ったのちに「今日は帰ってくれ。」と打合せを打ち切られたとのことだ。

そりゃ、そうだろう。相当失礼なことを言ってるんだけどな。

社長の態度を見て、初めて自分の行為に気づいたらしい。焦って弁解してみたものの、何を言っても「帰ってくれ。」の一点張りで、取りつく島もなかったと。

厚揚げ焼き

カリフワに焼かれた厚揚げをたっぷりの薬味でいただく。これもまあハズレが無い一品だ。一回だけ、不味いと思った店があった。焼いただけの厚揚げが美味しくないなんて、誰が想像できるだろうか。

他人に話をして状況を整理する、という行為はなかなか有効である。知人も私に話して、ようやく自分がしたことを客観的に理解したようだ。お世話になっている社長の好意を踏みにじったのだと。

なぜリクルート社の営業マンなんかの悪魔のささやきに耳を貸したのだろうか。初対面の人間が言うことを真に受ける者だろうか?そもそも、相談する内容だろうか。

知人も不安があったのだろう。

それが軽率な行動につながった。まさに経験が乏しいゆえにやっちまったパターンだ。修羅場をくぐったことが無いと、ちょっとしたことでも視野狭窄に陥るのである。

焼き鳥

ようやくメインのお出ましだ。鶏皮にボン尻、鶏肉である。カリフワに焼き上げられた串に、辛味噌をつけて食べる。角ハイボールとの相性もなかなかである。

ここで、ようやく知人が食事に口をつけた。

社長の好意を踏みにじった自分の行動には責任を取るしかない。つまり、社長には見返りを期待せず、謙虚に謝る。好意は辞退する。すべてが白紙に戻し、ゼロから計画を作り直すしかない。

そもそも事業というものは、いくつかのパターンを考えて行動するべきである。社長の好意に甘えたとして、もしも社長が亡くなったらどうするのか?なんらかの事情で社長が知人を支援できなくなったらどうするのか?

最初からいくつかのパターンを考えて、優先順位を付け、なにがあっても対応できるようにと何度もアドバイスしたにも関わらず、社長に頼るプランしか考えてなく、しかも、それを自らの手でぶち壊したとは、バカ極まりないと、私は知人を静かに罵った。

彼は黙ってうつむきながら頷いていた。

あー、焼き鳥の味がしない。嫌な酒だ。

彼が答えた。今回の件で私のアドバイスを身に染みて理解できたと言った。社長にはとにかく謝って、安易に頼らずに事業計画を練り直すと、少し吹っ切れた顔で言い切った。そして焼き鳥を食べ始めた。

気持ちの切り替えは大事だ、いつまでも引きずっていたら前に進めない。店を出るころには、いつもの明るい笑顔に戻っていた。がんばれ、若人。

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