無限堂 大名碗稲庭ランチ

秋田駅 無限堂 限定10食「大名碗」稲庭ランチ

秋田新幹線

本日は午後から秋田で会議である。東京駅から秋田新幹線こまち号に乗る。いわゆる「なんちゃって新幹線」である。いや、この称号はだめだ。先日、知人の秋田県民に言われたではないか。

「その呼び方をされると、秋田県民は地味に傷つくんです。」

寂しそうにボソッとつぶやいた、あの表情が忘れられない。

まあ、その、なんだ。盛岡までは勇壮に走るが、その先はおっかなびっくりでちんたら走る。この二面性がなんちゃって新幹線の魅力なのだが、秋田はまだいい。山形新幹線は半分以上が在来線である。福島までは東北新幹線で1時間40分、その先は在来線で新庄までは2時間以上もかかるのだ。なんちゃってどころではない。まるでキャバ嬢が…以下自粛。山形県民に刺されるかも知れぬ。だが、東北はまだいいじゃないか。関東でも千葉と茨城は新幹線が通っていない。千葉は成田空港があるが、茨城空港なんて…再び自粛。家の前に納豆をまかれても困る。

小岩井駅あたりで気になる看板を発見。おなかが空いているので、あまり見たくない文字だな。

秋田駅 無限堂

新幹線は定刻通り13時過ぎに秋田駅に到着した。ランチタイムだ。お昼ご飯だ。

「恋人は 朝の布団と 昼ごはん」

若い頃に流行った川柳だ。独身恋人無しの男女の悲哀と開き直り、ささやかな幸せなどの様々な感情と現実(逃避)が見事に凝縮されている。

海鮮を食べようかとも思ったが、それは明日の弁当に取っておこう。とにかく寒い。早く店に入って暖を取りたい。そんな私の目の前に現れたのは無限堂。稲庭うどん。この際いいか。塩分を気にせずに食べることにしよう。

店に入ると、外観は想像できない、様々な調度品をあしらった内装である。

カウンター席の上部に飾られているのは絵灯ろう(えどうろう)の数々。秋田県湯沢市の七夕絵灯ろう祭りで使用されたものだろうか。

元禄時代、京都から佐竹南家七代義安に輿入れされたお嬢様をお慰めするために始まったと伝わる七夕絵どうろうまつり。市井に下りて郷愁を胸に七夕見物に興じる奥様の姿を現代に再現します。地元高校生の扮する京都奥様が輿に乗り、女中、家来衆がつき従いお祭り会場をねり歩きます。

http://www.city-yuzawa.com/tanabata/2019/event.html

湯沢市の市民プラザ二階が絵灯ろう館となっており、そこに美人画が展示されているようなのだが、ネットでも情報がまったくない。これは見に行かねばならぬかもしれぬ。

天井もクラシックな作りだ。和洋折衷、温故知新を体現してるようにも感じ取れる。

メニュー

さて、なにを食べようか。店頭にも数多くのメニューが掲示されていた。

ランチメニューはA、B、小町御膳に大名椀の四種類。こういうときは一番高いのを食べればよい。「大名碗」稲庭ランチをセレクトした。

卓上には七味と山椒。なぜか紹興酒の壺が飾られている。なにかつながりでもあるのだろうか。店内には落ち着いたクラシックなジャズボーカルの曲が流れる。カウンター席はゆったりとして、一人でも落ち着く。

「大名椀」稲庭ランチ

お待たせしましたと言って店員が運んできたでしょう子見て私は目を疑った。なんだこの大きさか。でかい。とにかくでかい。相撲取りが優勝した際に一升瓶を開ける杯のほど大きさがある。しかも高さもある。大名碗とは大きなお椀のことを意味するが、ここまで大きいものだろうか。

食べにくい。箸の置き場所がない。どこから手をつければいいのか、しばし考えあぐねるしかないのであった。

とりあえずは茶碗蒸しから食べることにしよう。

秋の実 茶碗蒸し

意外にもかなりの薄味、胃に優しい。ふんわりとしている。熱くない。エビと椎茸、鶏肉など、貝の香りもほのかにする。三つ葉の香りが鼻を抜ける。茶碗蒸しには欠かせない、日本のハーブである。

松茸ご飯の笹巻き蒸し

松茸の香りが弱い。ただのキノコご飯だ。酢蓮根との相性がいい。

あしらい

卵焼きは甘くない、ほのかにだしが効いた、なかなかの味つけ。素材の魅力を上手く活かしている。サツマイモチップスうまし。じゃがいもと違って甘味が強いので塩がいらない。海老のうま煮は手が汚れるから嫌いだ。殻を剥いて苦労して食べた割にはあまりエビの味がしない。こんなものか。おしぼりがないのでトイレに手を洗いに行く。温水洗浄便座である。手洗い場の蛇口は水が勢いよく出るので注意が必要だ。

天ぷらと手羽中

天ぷら三種。いんげん、かぼちゃ、キス。塩がかかっているが薄味だ。自分で塩をかけるよりも明らかに塩分が少ない、素材の味を引き出して殺さない、絶妙な加減である。鳥手羽中はあまり味がない。冷たいのだ。プレミアム御膳で身に付けたスキル、熱いお茶が有する加熱能力を駆使すれば、ふわっと広がる生姜の香りと鶏肉の旨味、これまた薄味で好ましい。素材を活かすのが和食の信条。この店は京風の味付けなのだろうか。

小鉢二種。さんまの煮付けは骨まで食べられる。香りがいい、これも味が濃くない。東北の料理とは思えない。酒が飲みたくなるが番茶で我慢なのだ。春雨と椎茸の和え物は少々塩気がきつい。ご飯が欲しくなるな。こいつは東北仕様だろう。

きのこと豚肉のつけ麺

大名椀に仕掛けられた様々なトラップを潜り抜け、ようやくたどり着いたラストアイテムだ。真っ白な純白の手延べうどん、トッピングの白ゴマとのコントラストも美しい。だが、ここでトラブルだ。うどんを最後まで取っておくとどうなるか。麺からしみ出したグルテンが接着剤の役割を果たし、うどん同志を接合してしまう。この状態を解消するためのシンプルな方法がある。そう、無味無色の液体をかけさえすればよい。グルテンを洗い流してしまえばいいのだ。ところが手元にあるのは番茶だけだ。これでは冷たい水を純白のうどんにかける事は叶わない。

どうすればいいのか考えろ、必ず方法あるはずだ。考えるのやめてしまえば、人間はそこで終わりだ。諦める事はいつでもできる。考えて考えて考えて、それでも思いつかなければもっと考えればいいだけだ。

そうか、一度に解決しようとするから難しいのだ。二段階でやってみよう。まずは外部から物理的な力でうどんを引き剥がす。言い換えれば箸でうどんをつまみ上げ、上下に激しく振動させて、くっついたうどんをむりやり剥がすのだ。こうして大雑把に引き剥がしたうどんをつゆに浸す。麺と麺との間に液体が浸潤し、うどんがきれいに剥れる。純白のうどんが多少色付くのはこの際仕方がない。リスクなしに結果だけを手に入れる事は叶わないのが世の常だ。

うどんの喉越しが良い。今まで食べてきたものと違う。これが稲庭うどんか。つけ汁は辛口ではないが、つけすぎには注意だ。めんつゆには、根っこに部分をサイコロ上にカットした、豪快な舞茸が入っているが、豚肉は皆無だ。脂さえも浮いてない。風味もない。隠し味に使っているのだろうか。マイタケのつけ麺の間違いではないだろうか。うどんは食べていて気持ちがいい。ツルツルのシコシコだ。

そうしてフィニッシュ。ラストにミニデザートを食べる。不覚、チョコであった。不味い。私はコーヒを飲まぬ、チョコは食べぬのだ。やられた。美味いんだかいまいちなんだか判断が付きかねる食事だった。いいかえれば、うどんだけ食えばよかったと言える。二兎追うものは一途を得ず。初心に帰れとの天の啓示だと思い、店を後にした。

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