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誰がために会議はある
ブランチを済ませた後、午後一時から始まった会議は、睡魔との戦いを経てなんとか午後五時に終了した。設営とは難しいもので、良かれと思って企画したものが、一歩間違うと押し付けのような、主催者の自己満足で終わることも少なく無い。マンガのように社長やトップがケシカランと叫んでも、巨大な船と同じで、動き出してしまったものは誰にも停められないのが日本人の悪いところだ。むしろ身を犠牲にして停めようとする者を排除してしまう。
誰もがこのままではよく無いと思っているのに、声をあげる人はいない。いや、いたとしても抹殺される。しがらみや空気と言う魔物に支配された組織や集団に自由度は無い。まるで革マル派の粛清と変わらない雰囲気が確実に存在し、暗黙知が鉄則と化してしまう。最初は戸惑う人々も、いずれ慣れて、当たり前となり、常識へと昇華していく。最終的に勘違いした人間を大量輩出、いや、排出することとなるのだ。
話がそれたが、会議でも事業でも大事なのは参加者の満足度だ。ビジネスと同じだ。皆、貴重な時間と金を使って参加するのだ。それが睡魔との戦いを強要されるようではダメである。いや、話が面白くても睡魔に襲われることもあるし、戦闘時間の長短にもよる。参加者への事後フォローは不可欠だ。だからこそ、帰りに無記名式の参加者アンケートを提出するケースが多いのだが、それを行わないということは、参加者不在の事業に他ならないと思うのである。自己満足以外のなにものでもないと思うのである。
最近、何かの記事で読んだのだが、金と時間を無駄にされたとき、昭和は「金返せ!」の表現したそうだ。それが平成では「時間を返せ!」に変化したと書いてあった。まったくだ。使った金はカネは稼げば取り戻せるが、過ぎた時間は取り戻せない。リリースは平成でも「貸した金返せよ」はまさしく昭和の歌なのだ。
ホテル飯も高級ホテルなら無問題
「この会議、意味あったんかね?」
批判的な意見を口々にしながら懇親会場に向かう面々。疲れた会議の後のホテル飯は、容赦なく私からHPを奪い、ストレスが溜まるものなのだが、今回は別である。別格である。
何人かの挨拶が済み、乾杯で食事がスタートだ。私はローストビーフに狙いを定めていた。スーパーで売っているパサパサのやつではない。ものすごく大きな肉塊からは脂がしたたる、高級レストランならではの一品なのだ。京王プラザホテルのバイキングでも同様な一品がある。早い時間だと薄いスライス一枚しか出してくれないが、遅い時間になると分厚く切った上に、二枚は皿に載せてくれるのだ。
そう、ここでも素晴らしいローストビーフに出会うことができた。上質な脂を身にまとった、シルクのような舌触りの高級な牛肉だ。しかもボリュームもある。これだけ食べられれば満足なのだ。
ローストビーフ、万歳!
50年ほど生きていれば、いろんな経験をするものだ。さほど破天荒な生き様だとは思わないのだが、あまり他人が知らないことを見知ってきたらしい。そんな私の人生の切れ端でも誰かの役に立つかもしれないなら、記録として残す価値はあるかもしれないなどと考えながらブログを更新している。(詳しく読む…)