妻がけいたまとゆうたまを連れて買い物に行った。けいたまにお菓子を買って帰宅したところ、夕飯を食べないと言い始めるけいたま。
「買うときにご飯の後でねって言ったよね。」
イラっとしてけいたまに詰め寄ったらしい。けいたまは「お腹がいっぱい」とか「ご飯は後で」とか、色々と屁理屈をこね始めた。
三歳児は我慢ができない。目の前にお菓子があれば、あらゆる手段を講じて目的を達成しようとするものである。酔っ払いのおっさんと似たようなものだ。
ついに妻がけいたまを叱りだした。はっきり言って無意味である。お菓子を食べることで頭がいっぱいの三歳児を叱ったところで、泣くだけだ。そこにおもちゃの玉子を咥えたゆうたまが登場。場が一気に和んで、怒る気が失せたという。
できた娘だ。零歳児。
数日前、呑み屋で女の子らと話していた。三歳児を反抗期とかイヤイヤ期とは言う人がいるが、なぜそんなに否定的なのか。自分のしたいことがハッキリとして、それを周りに伝えることができるのは、人間として非常に大切な成長であり、喜ぶべきことだと。
例えば、旦那が家に帰ってきて、お風呂に入ってと声をかけたのだが、いや、今はいいと断られてしまったり、食事の用意ができたと声をかけたら、なんか食べる気がしないなどと敬遠されたとして、それを反抗期と呼ぶだろうか。
冷静に考えると、三歳児のやっていることと大人のしていることは大差ないのだ。大人ならば諦めるが、三歳児だとイラっとする。それは子供は親の言うことを聞くのが当たり前だと言う、固定観念というか、御都合主義なのだ。自分が効率よく家事を遂行するにあたって、子どもがいうことを聞かないと、非効率である、時間がかかる、手間がかかる、精神的にイラっとする、ムカつく、だいたいこんなものだ。
アドラー心理学の講演だったであろうか、三歳児ともなれば一人の人間と変わらない。大人と同じように考えて接すれば、見かたも考え方も感じ方も変わるというようなことを話していた気がする。
実際、やっていることが三歳児と同じレベルの大人は少なくない。中小企業の経営者など、酒を飲んだら三歳児よりもタチが悪い。認知症で脳が壊れてしまった老人も、我慢がきかないから三歳児並みのワガママを言うが、これらを反抗期と呼ぶ人がいるだろうか。
子どもは親の言うことを聞くのが当たり前、聞かないのは悪い子どもだから、しつけなければならない。この考えが虐待を生んでいることに、日本人は気づくべきである。子供は親のロボットではない。
そういえば、昔、奥さんがプログラム通りに動かないと激怒していたプログラマーがいたのを思い出した。もう三十年も前のことだが、離婚してないかな。そもそも生きてるのだろうか。名前も忘れてしまったから、会うこともないと思うが。
おまけ。妻が撮ったプリクラゆうたま。
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アラフィフで再婚して二人の子どもを授かりました。妻は初めて、私は二度目の育児を夫婦で頑張っています。