泡盛ストレート一気大会
岩見沢商工会議所青年部創立30周年の祝宴に参加した。会場は私の好きなホテルサンプラザ。テーブルに置かれた乾杯用グラスに入っている透明な液体が気になった。北海道だから日本酒だろうな。乾杯の挨拶が始まった。グラスの中身の説明を聴いて耳を疑った。
泡盛?しかもストレート?
ちょっと待て!
沖縄では泡盛ストレートを乾杯で一気とか、マジありえないんですけど。かんぱーい!じゃねえっ!おいおい飲むな、死ぬぞ!さすがに北海道のホテルでは泡盛の取り扱いが分からなかったらしい。これで撃沈した参加者が少なからずいたそうだ。後日、数名から私に自己申告があった。私も二次会で散会した。
ちなみに泡盛の正体は琉球王朝。沖縄ではメジャーな宮古島の酒だ。これを祝宴に持ち込んだのも宮古島の人間らだったが、彼らも乾杯のストレート一気にドン引きしていた。
居酒屋の一気ではない。
ホテルの宴会場にて200名ほどが乾杯で文字通りを杯を飲み干したのだ。これで泡盛の評判が悪くならなければいいのだが、心配になってしまう。
ちなみに、個人的におすすめの泡盛の呑み方は炭酸割だ。もちろん強炭酸だ。首里の義父も同様の飲み方をする。祝宴でふるまったらかなり好評だったが、それはストレートを飲んだ後に口にしたせいかもしれない。
けいたま、パパだよー!
翌日は朝に千歳のイオンで食材を仕入れ、国内最長の札幌ー那覇便で沖縄に戻る。ほぼ成田ー北京と同じ距離だ。飛行時間は四時間。なかなか長い。これだけ長いと到着が早まったりすることも少なくないが、那覇空港は日本屈指の混雑空港だ。上空で30分ほど待機させられることもざらだ。それが、今回はすんなりと定刻より20分ほど早く着陸できた。
空港からの帰りに、くがに市場で買い物を済ませ、帰宅してけいたまの食事の準備を済ますと、実家に迎えに行く。十二日ぶりの再会だ。けいたま、私を見るなり抱っこをおねだり。くっついて離れない。面倒を見てくれていた義母が言う。
「見て、この笑顔。私たちにはしないわよね~。」
義父と義母、そしてなにかとけいたまを遊びに連れて行ってくれる義妹らに感謝するとともに、けいたまに申し訳なく思う。
自宅に戻り、作っておいたカレイの煮つけ、ゆし豆腐の汁物をけいたまに食べさせる。お魚好きだ。ものすごい勢いで食べる。ここ数日、保育園でも実家でもあまりご飯を食べないと心配されていたのが嘘のようだ。翌朝もたくさん食べて保育園に歩いて登園。天気が良くて気持ちがいい。けいたまは私の顔を見てニコニコしてる。
ところがけいたま、この日の夕食はあまり食べなかった。就寝後、明け方に起こされてミルクを飲むという。おむつを交換する。何かおかしい、昨晩から咳が止まらない。思えばこれが前兆だった。
けいたま 発熱
いつものように朝が来た。ちがうと言えば、明け方にけいたまが起きてミルクを飲んだこと。とりあえず熱を計る。問題ない。だが、ご飯を食べない。心なしか体温が上がってるような。計ってみると微熱だ。これは保育園に行けないな。そして夜には38度を超えた。翌朝には37度まで下がったが、夜になってまたもや38度。食事はすべてミルク。ご飯は食べない。
夜になり寝かそうとするが、けいたま大泣き。なぜだ?言葉でコミュニケーションできない乳幼児の対応はデバッグそのものだ。子供の様子から仮説を立てる。暑いのか寒いのか、それとも頭かお腹が痛いのか。
暑がりのけいたまなので、まずはタオルケット一枚だけにしてみる。泣き止まない。うーん、毛布を何枚かかけてみる。くそ暑くないのかな?あ、泣き止んだ。眠り始めた。よかった。
一時間ほどするとまた泣き出した。今度は暑いのだろうか。毛布を剥ぎ取り、タオルケット一枚だけをかける。あ、泣き止んだ。
ところが二時間ほどしてまた泣き出した。なんだろう?暑さでも寒さでもないのだろう。ふと、二年前のことを思い出した。出張中の深夜、妻から電話があった。けいたまが泣き止まなくて、理由もわからないと言う。私は子供相談の番号があるはずだから電話してみなよと告げた。翌日、妻から連絡があった。
「すごいんだよ!赤ちゃんは汗で気持ち悪くて泣いてることが多いから、お湯で温めたタオルで体を拭いてあげてくださいって言われて、半信半疑でやってみたら、けいたま、すやすや寝たんだよ!」
そうだ、汗をかいて気持ち悪いのかもしれない。試しに服を脱がし、温かい濡れタオルで身体を拭く。けいたま号泣。だが、乾いたタオルで拭き直し、服を着せると、けいたまは横になってすやすやと眠り始めた。
スゴイ!
翌朝は元気に歩いて保育園に行った。
今週の妻とゆうたま
さて、妻である。今週の診察日。頸管長は努力の甲斐あって24mmだ。ゆうたまの重さは聞き逃したらしい。おそらく2100グラムくらいだろう。34週目。あと三週間で退院だ。ゆうたまも3kg弱には育つはずだ。
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