半世紀生きてきて初めてインフルエンザにかかりました
家族に会えると言っても、妻は病院。娘は実家。まだまだ出張が続く。帰宅してまずは妻に会った。娘とは明日から二日間、一緒に過ごせる。
ところが明け方、ものすごい寒気に襲われた。寒い。毛布を重ねてかぶった。全身が痛い。やばい、これは相当な高熱だが、だるい。動けない。身体が温まったからだろうか。少し楽になったので体温を測ってみる。
39.1度。
「インフルエンザ」と言う文字が頭をよぎる。いや、そんなことはない。こないだもインフルエンザにかかったけいたまと一緒にいたが、私はなんともなかったではないか。とりあえず起きて風邪薬を飲む。30分後、38.3度に熱が下がった。そのまま眠りに落ちる。
朝、熱は再び上昇。血圧の薬をもらいにかかりつけ医に行かなくてはならないのだが、だるくて話にならない。食欲もあるので朝食を摂る。昨日、漬けておいた野菜とご飯はお茶漬けだ。風邪薬を飲んだせいか、少しは楽になったが、熱はまだまだ下がらない。
だるい。
お昼が近づくもご飯を作る気がしない。空腹を紛らわすために、誰も食べずに冷蔵庫に放置されていたゼリーをひたすら食べる。冷たくて気持ちがいい。幸い、喉は痛くないので、飲み込むのは問題ないが、賞味期限が二ヶ月以上過ぎてる方が問題だ。
ま、ゼリーなんて腐らんだろう。
入院中の妻が、まだゼリーが残ってると知らせてくれたので、見つけ出してすべて冷蔵庫に入れる。食事は生きるための基本だ。親父も食事が摂れなくなったら、ほどなくして死んだ。そうなのだ、生きるためには飯を食わなければならないのだ。仕方ない。ジクロフェナク、いわゆるボルタレンを飲む。こいつは私には相性がいい鎮痛解熱剤なのだ。
ほどなくして熱が下がった。体が楽になった私は台所を片付けると、再び冷蔵庫を漁った。そして見つけ出したのは「出雲ぜんざい」。
ぜんざいは出雲が発祥の地らしい。沖縄では「ホットぜんざい」と呼ぶ。こんなもの、何十年と食べた覚えがない。しかし、今は食べたい。体力の消耗を防ぐためにカロリーを摂取するのだ。昼食はぜんざいとぬか漬け。
年寄りか?
それでも食べないよりマシだ。ぬか漬けの塩気とぜんざいの甘みが思いのほかマッチする。いやあ、ぜんざい美味い。きっと今後数年は食べることはないだろう。
一休みして医者に行く。インフルエンザの検査をする。10分ほどで結果が出ると言われたが、数分で医師がきた。
「すぐにA型が出ましたよ。」
なんだかなぁ。どこで感染したのだろうか。医者が言うには飛行機が一番怪しいとのことだ。それ以前に、出張で疲れて体力が低下し、感染してしまったのだろう。体調管理はきちんとしなければと再認識したのだった。
ああ、自宅軟禁決定だ。出張をすべてキャンセル。せっかく沖縄にいるのに、けいたまとは会えないし、お遊戯会にも行けない。
ああ、神よ!なぜあなたは私にこのような試練をお与えになるのか?!
ちなみに私は無神論者ですが、なにか?
今週の頸管長
この日は妻の診察日でもあった。本日の結果は次の通り。
- 26週 頸管長 20mm ゆうたま 1000g弱
- 27週 頸管長 18mm ゆうたま 1000g
- 28週 頸管長 24mm ゆうたま 1000g強
- 29週 頸管長 17mm ゆうたま 1200g
- 30週 頸管長 16mm ゆうたま 1300g←いまここ
もう退院は望めない。ゆうたまはやや小さめだが、すくすくと育っている。肝機能も問題なく、地獄のマグセントの世話にはならなくて済んでいる。ああ、あと6週間。赤ちゃんの肺ができあがる36週まで、ゆうたまはお腹の中にいなければならない。
インフルエンザ辛い
もう歳なのだ。「アルコール消毒!」などと言いながら酒を飲んで治せる年齢ではない。朝飯は相変わらずお茶漬けだ。漬物だけは毎日漬けたので、これが重要なビタミン源だ。出雲みやげでもらった、こんなもん、いつ食べるんだ?と思っていたお汁粉を糠漬けと食べる。普段なら120%ありえない食事だ。
二日後には熱が下がり、動けるようになった。三日目にはインフルエンザの症状が消えたので、これで問題ないと思いきや、ものすごい疲労に襲われた。
とにかく三日間を家から出ることもなく、人との会話もJALに電話してオペレーターと話したくらいだ。もともと一人が好きなので、人恋しくはならないが、けいたまと妻に会いたかった。
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