2024年4月18日
宇宙戦艦ヤマト2202愛の戦士たち

宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち

宇宙戦艦ヤマトの思い出

ヤマトリメイクは2199も観た。私は好きだ。なんせ五十路であるから、ヤマトはリアルタイム世代だ。さらば〜で死んだ古代進と森雪がテレビ版のヤマト2では死ななかったことを喜んだし「新たなる旅立ち」に「ヤマトよ永遠に」、そしてヤマトⅢをテレビで見た。

小学生のとき、誰かにもらった宇宙戦艦ヤマトのプラモデルを組み立てて、雨上がりの水たまりで遊んでいたら、通りがかりの車に踏みつぶされた。タイヤにつぶされていくヤマトがスローモーションで目に映った。粉々になったヤマトを呆然と見ていた記憶がある。車の持ち主は近所の人だったように思う。ヤマト2が終わったころだった気がする。それ以来、プラモデルに興味がなくなった。ガンダムが大好きでもガンプラに一切興味が湧かなかったのは、このトラウマによるものだろうか。

完結編は映画だったので、観に行けなかったから、鑑賞したのはだいぶ後だ。いや、きちんと観ていない気もする。この頃にはヤマト熱が冷めてしまっていた。

今から十年前だろうか、世の中はアバターだ、ワンピースだと騒いでいるときに、妻と観に行った映画は「ヤマト復活編」。やさぐれた古代進とエリートの古代雪。変わらない真田さん、強化された波動エンジンと第三艦橋。中途半端に終わったまま、続編が打ち切られた復活編は作る意味があったのだろうかと思いさえした。

キムタクヤマトも観たが、論外だ。あの頃、やたらとリメイク実写が流行った。キャシャーン、ガッチャマン、ヤッターマン。いずれも共感できなかったし、実際に興行的にも失敗していたと思う。

それが、まさかたった三年後に完全リメイクのヤマトが制作されるとは驚きだった。人気コンテンツであり、原作者がトラブルメーカーでもあったために、版権がごちゃごちゃになり、大ヤマトだの訳のわからん作品が出てきた。松本零士ワールドではハーロックもエメラルダスもメーテルもヤマトも同一世界で展開されていた。

松本零士の思い出

ヤマトが映画館で上映されていたのは小学生のとき、家に一番金がない頃で、父の実家に預けられ、両親とは別々に暮らしていたから、映画に行くのは難しかった。テレビではキャプテンハーロックが放映されていて、毎回、テレビのスピーカーの前にラジカセを置いて録音していた。ライン接続の知識がなかったのだ。知識があったとしても、テレビのヘッドフォンジャックにコードを挿せば無音になるからダメである。

中学生になり、叔父のそば店で出前や皿洗いのバイトをするようになってからは少しお金に余裕ができた。この自分のお金で初めて観に行った映画は銀河鉄道999。その次に観たのはさらば銀河鉄道999。もちろんエメラルダスも男おいどんも読んでいた。

それなのに松本零士で一番好きな作品は999でもなく、ハーロックでもなく、実はセクサロイドであった。子どもの頃に叔父の別荘でゴルゴ13とともに読んだのだ。小学二年生にはゴルゴはさっぱり理解できなかったが、セクサロイドの綺麗な女性の裸体はひどく刺激的だった。

最終章に思うジェネレーションギャップ

22Φ2、現代のCGで描かれたヤマトを始めとするメカ、アンドロメダ一番艦の初登場シーンは背筋がゾクゾクしたし、ガミラスもガトランティスも昔の手描きアニメとは比較にならないほど緻密であり、リアルに感じた。ヒットしたから次作を作る方式の昔のヤマトは、設定に無理があったり、毎年のように地球が宇宙からの脅威にさらされるなど、子ども心に、なんだこれ?と思う設定も少なくなかった。

特にヤマト2の最後は、最初からテレサが白色彗星に突っ込めば済んだ話じゃね?と思ったものだ。二人が生き残ったから結果オーライではあった。

今月初めにネット配信が始まった、宇宙戦艦ヤマト22Φ2 愛の戦士たち 第七章だったが、多忙のためになかなか見ることができなかった。ネットでネタバレを検索したところ、できがひどいと非難する声と古代進と森雪は死ななかったことが分かった。

最初にヤマトが制作されてから40年が過ぎ、この間に宇宙物理学、現代宇宙論および先端物理学は発展を遂げた。宇宙は十次元から成ると言う超弦理論が提唱され、マゼラン銀河の距離も二万光年ほど伸びた。時代も戦後昭和から平成へと移った。初めてヤマトを見る世代からすれば、波動砲も波動エンジンもアケーリア文明も十次元宇宙もすべて同列のSF設定だろう。

そもそもリメイクヤマトの波動エンジンは、初代とは異なり、松本零士が創作した、タキオン粒子を基盤とする次元波動論を用いていない。超弦理論に基づいた、三次元世界と重なる余剰次元からエネルギーを取り出す装置が波動エンジンであり、だからこそ無限に動力を供給できるのである。波動砲もまったく原理が異なる。超弦理論は、ファーストヤマトの時代にはまだ提唱されていなかった、先端理論なのだ。

しかし、ファーストヤマト世代からすれば、波動エンジンや波動砲はある意味確立された現実であり、その他はファンタジーに思えるのではないだろうか。このギャップ。特攻で終わった「さらば」を、最終回で御都合主義を駆使してヤマト2に仕上げたのと同じだ。大どんでん返しで、俺の中のヤマトが汚されたと感じてしまうのではないだろうか。

私はそんなことは感じなかった。むしろ、今の時代にはこのラストの方がふさわしいと思った。十次元宇宙を論じるならば、高次元生命体のテレサを三次元宇宙に呼び出すには、膨大なエネルギーが必要だと真田さんも話している。それは高次元宇宙にヤマトを送り込み、二人を助けるのも同じ理屈だと解説している。

単なるSFアニメではなくなった

テレザード星がなくなってしまい、三次元と高次元の結節点が無くなってしまったから、テレサを呼び出す方法がなくなってしまっていたのだ。だからこそ、暴走した波動エンジンがテレサを呼び出してことを真田さんは奇跡、いや必然とまで言った。ヤマト2199で、波動エンジン内部には銀河一つ分のエネルギーが封じ込められていると真田さんが話していた。これが暴走して内圧250%ならば、銀河二つ半という、凄まじく膨大なエネルギーが発生していることになる。だからこそ、テレサは、誰一人欠けても私は高次元世界からここに来ることができなかったと言ったのだ。

そもそも、時間断層はただのSFの設定ではなく、人類が波動エンジンとは別種の軍事力を所有した結果、使い出せばどうにも止められないと、多くの幹部キャラが何度も自問自答している。単に地球が短時間で強大な軍事力を有したことを矛盾なく解決するための仕掛けではなく、我々人類の何かを象徴したものが波動砲であり、時間断層であり、国民投票は、人類はそこまで馬鹿ではないと希望を持たせてくれたのではないだろうか。

ヤマト愛にあふれた人の罵詈雑言がネットを覆い尽くしたとしても、興行的に成功していることから、リメイクヤマトが世に受け入れられていることは証明されている。早速、続編の制作も決定した。「ヤマトよ永遠に」あたりから、オリジナルストーリーへと成長するように勝手に思い込んで、楽しみにするのであった。

きっと、続々編も続々続編も制作されることだろう。下手すると、ガンダムみたいにその先まで作られるかもしれない。私と同じ歳になった、五十路のリアル古代艦長が出てくるかもしれない。ヤマト生誕百周年もあるやもしれぬ。

私が生きている間に完結するか、それだけが心配だ。

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